訃報とは?
訃報とは、死亡したという知らせのことです。訃音。悲報。訃。「~に接する」という使い方をします。
一般的に訃報には、死亡した人の名前、葬儀の日時と場所、喪主、また宗派などを記載します。連絡方法としては、電報、電話、回覧板、新聞の訃報欄などが利用されます。
新聞での死亡記事のコーナーはおくやみ欄と呼ばれ、著名人などの死を伝える場所となっています。遺族が依頼をして記事の掲載を頼んだ場合は、広告として扱われて死亡広告として、区別されています。
新聞の死亡記事は定型化されており、基本的には、故人の氏名、死亡時の肩書など、縁故関係、死亡日時、死因、死亡した場所、年齢、出身地などといった構成になっています。これらに、これまでの業績などについての説明や、肖像写真などが加えられることもあります。
訃報の豆知識:死亡記事の歴史
日本で初めて新聞が発行された明治時代には、もうすでに死亡記事は掲載されていました。この頃はまだ他の社会記事と一緒に書かれていたようで、現在のおくやみ欄として別枠は設けられていませんでした。その気になる内容は、野辺送りの日時などを知らせるものでした。
その後、次第に死亡記事は形式化されていき、1900年東京日日新聞で、三遊亭園朝の死亡記事では、個人名に傍線が引かれたことが記録されています。これは現代の死亡罫に通じるものではないかとの説があります。またこの頃は、記事の見出しを黒い枠で囲んだりするようになりました。皇族や軍人の場合は、紙面全体を黒い枠で囲われるのが慣習となっていたようです。
戦争前の大正から昭和にかけては、死亡記事の掲載方法が派手になっていく傾向にありました。新聞社全体がその影響を受けていて、それらはどんどんエスカレートしていきました。たとえば、三遊亭圓朝の死亡記事の際、肖像画を掲載したところも多くあり、その後の死亡記事には肖像写真が掲載されるのが常となっていったのです。
しかし戦時体制に入ったころから、紙面縮小などを理由に、少しずつ死亡記事の形式も簡素なものへと姿を変えていきました。こういった環境のなか、現代の死亡記事一覧のような、新聞の社会面の下段に記されている、簡素な様式へとその形が造られていったものと考えられます。
現在の死亡記事の特徴は大きく三つに分けることができます。一つ目は、速報として知らせる定型化した簡素なもの。二つ目は、ニュース性の高い著名人の死に関わる記事、三つ目は、追悼記事です。追悼記事は、過去に亡くなった著名人の中から、誰かを取り上げて、その人のことを詳細に記すものです。