水葬とは?
水葬とは川、海などに沈める埋葬と葬儀の方法で、主には宗教により行う国や、軍隊が海上での戦死者や殉死者を葬る場合に行われます。
水葬が法的に認められているアメリカでは、様々な厳しい条件はあるものの、水葬を行うことができます。日本での現在の法では基本的には認められておらず、例外としては、長期航海で船員が亡くなった場合、法的条件を満たしたうえで、水葬が可能になることがあります。自衛隊にも同様に、条件を満たした水葬は認められていますが、自衛隊の場合、隊員が死亡するケースは予め想定されているのは当然で、遺体を保存する設備が備わっており、何らかの事態により、保存が不可能になり、他の乗組員への伝染病の発生の恐れがある場合など以外は、遺体は遺族のもとへ還すことが優先されます。
宗教的な理由がない限り、水葬は、合法な国であっても本人の強い希望があってこそ行われることがありますが、希望がない以上、現実的に行われることはあまりないといえます。
近年の水葬された有名な人物では、2011年にイスラム過激派のウサマ・ビン・ラディン容疑者。2012年にはアポロ計画で人類最初の月面着陸を成功させたニール・オールデン・アームストロング船長がいます。
水葬の豆知識:武田信玄、諏訪湖水葬の伝説
戦国時代の武将、武田信玄。後世では、このような有名な歴史上の人物には、いろいろな伝説が付き物ですが、信玄にも埋葬にまつわる伝説があります。
天下統一まで、まさに目前というところまで迫りつつあった信玄は、天下分け目の決戦となるであろう、尾張の織田信長との戦いを前に、病没してしまいます。自らの死を悟っていた信玄は、後継者である武田勝頼にある厳命を下していたとされています。有名な話として、現在でも様々な映画やドラマ、書物でも知られる「三年の間、我死たるを隠し通せ」という内容の遺言で、伝説として、この中の内容の一つに「諏訪湖に埋葬せよ」ということが記されていたとされているのです。そして勝頼はその名に従い、主君であり我父である信玄を諏訪湖に沈めたと伝えられております。
その後、信玄死す、の噂はたつものの、巧妙に影武者をたて信玄の死を隠した武田軍に対し、敵の大名も、生きていたら生きていたことで警戒し、死んだら本当に死んでいるかと警戒し、その偉大な名将を恐れたということです。
あの、三国志で知られる蜀の劉備の名軍師、諸葛孔明と同様、自らの死後でさえも敵軍を翻弄した武田信玄。本当に諏訪湖に眠っているのか、調査も行われたようですが、それはまたロマンであり、真相を知りたいけれど知りたくもない。
そんなところではないでしょうか。