人は普段服を着ている。むしろ服を着ている姿の方がその人の一般的な恰好と言っていいだろう。これは死んだときも同様で、死んだときに着る服がある。この際に着るものを死装束あるいは仏衣というのだが、やはりどんなことにも由来はある。
死装束や仏衣の由来
人は死んだ際にあの世へ行くらしい。そこが天国であれ、地獄であれに、真っ白な、裏地のないさらしの着物、経帷子を左前にして着せる。本来これは巡礼のための装束、稽古着のようなものだ。そして正式にはこの経帷子に加え、手には手甲(てっこう)、脚絆(脚絆)あるいは脛巾(はばき)と言われるものを足に、そして首には頭陀袋(ずだぶくろ)をかける。
それぞれ、巡礼者の長旅に適した装いである。手甲は汗を拭うためまたは日焼け防止、脚絆は単純に足の保護のため、そして頭陀袋はかばんの役割をする。頭陀袋に六文銭(三途の川の通行料)を入れることもあるようだ。どれもあの世へ行くという長旅を想定したものである。あの世とはそれほど遠いところらしい。ちなみに浄土真宗では、極楽浄土へ旅をしないと言われいるため、死装束を着せる習慣はない。
左前の由来
和服を着る際、左前にしないように気をつける。芸能人がSNSに着物姿を投稿して、襟が左前だという理由で炎上していたが、左前というのはかなり縁起の悪いものとされている。一般的に右前な襟を死者が着る際には左を前にする。
前というのは「先に」という意味で左の襟が下に、右の襟が上にくるわけである。こういった死者に対して、生者とは逆のことを行うのを逆さ事という。一番有名な逆さ事はおそらく北枕だろう。釈迦が死んだ際に頭が北を向いていたらしく、そこから死者の頭を北にむけるのである。今でも部屋の模様替えをした際など、布団またはベッドの向きを北に向けないように多少意識する人はまだ存在するだろう。他にも布団を上下逆に死者にかける逆さ布団、故人の枕元上下逆の屏風を飾る逆さ屏風等、地方によっても様々な逆さ事が存在する。
シンプルになってきている現代の葬儀事情
葬式も今はシンプルかつコストのかからないものに変化している。死装束も同じだろう。外国では死装束のような決まった服を着せる習慣は珍しく、死者が生前に一番好んで着ていた服を着せるのが一般的だ。日本でも普通の服を着せたり、死装束の上から洋服をかけるという場合もある。今では死装束をこてこてに着せるという場合は少ないのかもしれない。
一方でエンディングドレスというものがある。死化粧と同じように、死後も綺麗に着飾りたいという女性は多いだろう。いわゆる終活として、死ぬ前にエンディングドレスを決めたり、母の日のプレゼントとして母親に買うというケースもあるようだ。
裸で生まれて裸で死ぬのが自然?
人は生きているうちでさえ着飾るが、死んだ後も変わらないのである。衣装の上には巨大な棺桶の蓋もかぶることになるわけだが、とことん自分の周りを覆いたいという意志を感じる。ピラミッドは王様の墓だと言うが、巨大な石づくりのエンディングドレスとも考えられるだろう。しかし、筆者は不思議に思う。人は生まれてくるときにはもちろん裸で生まれてくる。髪をかため、ネクタイを締めたタキシード姿で生まれ來る赤ん坊はいない。それならば、死ぬときは裸で納棺されるのが自然な道理だと思うのだが、どうだろうか。これは日本人の思想に染み付いた仏教でいう、輪廻転生に由来しているのかもしれない。