一概には言えないのだろうが、近親者が亡くなった時には事の重大さに圧倒され、悲しみの感情が蓋をされてしまうことがあるようだ。義父が亡くなった時がそうだった。病院で亡くなったのだが、臨終後すぐに看護師がビニール袋をさげてやってきた。袋の中はペーパータオルに包まれた入れ歯。「ご遺体が硬くなると、入れ歯が入らなくなってしまうので今のうちに入れてください。」と申し渡され、ラッテクス手袋2,3組と一緒に置いて行った。
慣れない入れ歯の装着
「え、それって病院でやってくれないの?」と思った時には、すでに義母が決死の表情で義父の口を開けて作業に取りかかり始めていた。しかし、うまくいかない。途中で、義姉と交代してはめようとするが、やはり手こずっている。「何やってんの。早くしないと硬くなっちゃうよ」と義母の叱咤が飛んだ。「そんなこと言ったって、難しいのよ」と姉。義母は焦りまくってヒステリーを起こしそう。そして、義姉は下を向いてクスクス笑っている。作業のお鉢が私に回ってくる前に、そしてご遺体が硬くなってしまう前に、何とか無事に収まった。
口がパカパカ開く義父
義父の遺体は納棺まで居間に安置された。葬儀屋さんが布団にビニールシートを敷いたりドライアイスを遺体の周りに置いたりして帰られたあとに、義父の顔に変化が起こり始めた。下あごが下がって口が開いてしまうのだ。最後に一目お顔を見たいという弔問の人達に絶対に見せられる顔ではない。みんな、吹き出してしまうことだろう。
「○○ちゃん、ひもを持ってきて」義母が指示した。姉が取りに走る。持ってきたひもをあごの下に回し頭頂で縛った。一応、口は閉じたが、具合を確かめていた義母が再び叫ぶ。「あ、ダメだ。痕がついちゃう」試行錯誤の結果、長いガーゼをひも状にふんわりと折りたたんで縛ったらうまくいった。
中々閉まらない義父の口とそこから覗く入れ歯
やっとのことでお口を閉じていただくことができたのだが、すぐに次の問題が発生した。合わさっていた上下の唇が乾燥で開き始めたのだ。義姉は「どうしよう?洗濯バサミで止めておく?」と言ってすでに吹き出している。「でも、痕がつくよ」と私。トトロがニッと笑ったような口元に入れ歯が光っている。不謹慎は百も承知ながら、二人で涙が出るほど笑い転げた。しかし、口元を整える前に時間切れ。二人でどうしようか考えている間に、弔問客がやってき始めたのだ。幸い、義父の顔を見て吹き出す人はいなかった。
何かと忙しい葬儀の対応
義母は次から次へとやってくる弔問客に応対したり、葬儀屋さんからの電話を受けて段取りや指示を確認したり、通夜は自宅で行ったので近所の女性たちが手伝って作ってくれているお食事の用意の采配などで一日中忙しく動き回っていた。すべてが一段落した夜遅く、義母はご遺体の傍らで、腕枕をして横になっていた。泣いていた。告別式の日、斎場に向かう車の中から式が終わるまで、義姉もずっと泣いていた。
「忙しい・不慣れ」なことで死の哀しみをやわらげるのかもしれない
家族が亡くなることは、残された者にとって大きなショックである。そのような心理状態でありながら、臨終から告別式までの限られた時間内に成し遂げなければならない葬儀の様々な段取りが押し寄せてくる。多くの残された者にとっては未経験の事柄なのだ。悲しんでいる間もないというのが実情だろう。でも、そのような忙しさ、大変さ、そしてある場面では困惑が、遺族にとってショックアブソーバーのような役割を果たしている面もあるのかもしれない。義父の葬儀の際のすったもんだを思い出すたびにそう感じるのだ。