日本において、葬儀は長らく、自宅での看取りや葬送というスタイルが一般的でした。ほとんどの家庭が祖父母と一緒に暮らす「多世代同居」だったこともあり、自宅で家族を看取るのは当たり前でした。
また、生活の中に今よりも「宗教」が反映していましたから、お寺さん、神様とのつながりも、今の私たちより親密で、日常的だったはずです。朝起きてお仏壇に手をあわせる、お台所の神様にお供えをする。玄関前を掃くのも、単に見栄えをきれいにするだけでなく、邪気を払って良き神様のお通りを迎える意味もあったわけです。
核家族化は宗教行事も疎遠にした
今この現代、宗教行事を生活の中に純粋に取り入れている家庭はほとんど見当たらないと言っていいと思います。
例えばお盆での迎え火、送り火も、厳格に守り続ける家々がある一方で、現実的には、マンションの共同廊下で火を焚く訳にはいきませんし、そもそも自宅にお仏壇を置かない家庭も増えています。
そういった生活環境の変化にともなって、「看取り」「葬儀」のかたちもすっかり変わってきました。
バブル崩壊のちょうどその頃、1990年以降の核家族化、マンションや団地居住者の増加、女性の社会進出などなど、近代化は日常の神仏行事から私たちを遠ざけています。代々のお墓もありますが、実際には特に宗派や戒律を意識した生活はしていません。その結果、個々人の生活や考え方を優先することで、過去のしきたりにとらわれない自由で便利な発想の葬儀や墓苑のかたちが増え、「最末期」をどう迎えるかの選択も実に多種多様です。
多様化の反面、看取り難民が増加傾向にある
こんな、自分の最期をカスタマイズ出来る時代ですが、現実には問題もあります。
2025年頃から深刻になる、高齢者増加にかかわる問題がクローズアップされてきているのです。
よくいわれる“団塊の世代”が75歳以上の後期高齢者になる2025年頃に直面する、医療や介護に関わる問題ですが、これはもっと先読みすると、自宅はもちろん病院や施設でも死を迎えられない「看取り難民」が増えることを意味しています。その数は45万人以上といわれているのです。この数字は小規模都市の全人口ほどにもなります。
よりよい最期の選択肢は増えても、家族や親戚が近くにいないために誰にも看取られることなく亡くなっていく現実。最末期に延命治療を望まず自宅での看取りを望んでも、それを助けてくれる身近なひとが同じように高齢者という場合も多く、希望通り最期を“カスタマイズ”できない現実。
身寄りの無い方の葬儀、遺骨の取扱は今後の課題
こうしたなかで、最期の人の思いに寄り添い尊厳ある死を迎えられるように助ける存在があります。ボランティアによる看取り支援もまだまだ少ない現在ですが、介護からその後の「看取り」まで一貫して助けようという施設が少しずつですが増えているのです。
厚生労働省の最近の調査では、回答した特養施設の70%以上が「看取りの希望者に対応したい」と答えています。
有料老人ホーム、サ高住(サービス付き高齢者住宅)でも60%以上の施設が前向きな回答でした。また、施設だけでなく介護資格をもった方たちが、自らを「看取り士」と名乗り、一人暮らしの高齢者を支える活動を始める動きが数年前から増えてきています。
すでに、身寄りのないご遺体、引き取り手のないご遺骨は徐々に増えています。核家族化が引き起こした問題は私たち一個人では解決できませんが、新たな道をさぐる活動は静かに広がっているようです。