古典的な演目の落語を聞いたり、あるいは江戸時代の戯作などを読んだりしていると、江戸時代の葬儀習俗の描写が出てくることがある。
そうした江戸の葬儀習俗の描写の中には、日本葬儀文化史の上からも重要なものもある。その一つが、「男女を問わず人が亡くなると、その故人の髪を剃って埋葬する」という描写である。
実はこれが、現代にも続く「仏式葬儀の中で、故人に戒名を付ける」ことと密接に結びついたしきたりである。
隠れキリシタン取り締まりのための寺請制度が仏式葬儀のルーツ
いわゆる仏式葬儀のルーツは、江戸時代のいわゆる隠れキリシタン取り締まりのための寺請制度にあると、よくいわれる。しかし、日本式仏式葬儀の様式そのもののルーツはもっと古く、中世の禅宗にまで遡ることができる。
この時代、禅宗の宗派の一つである曹洞宗では、独り立ちの僧侶になる前の修行僧が亡くなった際、彼らの志を果たしてやるため、故人を正規の僧侶としての扱いで弔うしきたりがあった。
このしきたりを、男女僧侶ではない一般の人々の葬儀に応用したのが、日本式仏式葬儀の始まりであり、後に他の宗派も取り入れるようになった。ここで、故人に戒名を付けることが採用されるが、この戒名は、本来「僧侶としての名前」だったのである。
死後、僧侶になったこと示す剃髪と戒名
つまり、日本式の仏式葬儀では、故人は死後に僧侶になったとみなされるわけである。そのため、寺請制度によって一般庶民も仏式葬儀を行うようになった江戸時代には、故人が「僧侶」になったことを示すしるしとして、故人の髪を剃ったり一部切ったりして埋葬する習慣が誕生したのだった。この習俗が、今も(実際には、髪を剃ったり切ったりはせず、ジェスチャーだけの場合が多い)続いている地域や宗派も、実は少なくない。
なお、浄土真宗及び日蓮宗では、教義上の理由により、故人の髪を剃ったり切ったりはしなかった。そのため、落語や戯作・時代劇などで「葬儀の際、故人の髪を剃ったり切ったりする」描写があった場合、その故人は浄土真宗や日蓮宗の信者ではないということがわかる。
ちなみに補足すると、この両宗派は「戒名」という言葉は使わず、浄土真宗では「法名」、日蓮宗では「法号」と呼ぶ。これも、故人の髪を剃ったり切ったりしないのと、同じ理由である。