位号とは?
位号とは戒名の一番下につけるもので、いわば「○○さん」といった呼称です。読み方は「いごう」。性別、社会的地位や寺院への貢献度、宗派によって様々な種類があります。もともと戒名は、仏門に入った際に戒律を守り抜くことを誓う「受戒」という儀式で授かるものです。ですから本来、戒名は生前に授かる新しい名前であり、キリスト教でいう洗礼名のようなものでした。しかし時代が下るにつれて、無事に仏様の仲間入りができるようにと願う意味も含め、故人に戒名を授けることが一般化してきました。そこから徐々に、戒名は死後につけるのが「常識」に変わってきたのです。そういった背景から、現代では故人の享年によっても位号が異なります。
主な位号・読み方は次の通りです。成人男性の主な位号は居士のほか、禅定門(ぜんじょうもん)や信士(しんし・しんじ)があります。また成人女性には禅定尼(ぜんじょうに)・信女(しんにょ)に大姉(だいし)、15歳以下の子供には童子(どうし)または童女(どうじょ・どうにょ)などがあり、宗派によっても違いがあります。いずれも社会的地位などによっては「大居士」「清大姉」などの尊称を授かることがあります。さらに幼い5歳以下になると、幼児(ようじ)・孩児(がいじ)・嬰児(えいじ)といった位号があります。女子については幼女(ようにょ)・孩女(がいにょ)・嬰女(えいにょ)と呼びます。
また生まれる前に亡くなった子については「水子」といいますが、これは今日のような意味とは少し違います。本来(すいじ)と呼ぶ位号の一つで、生まれたばかりの子に対する位号でした。
位号の豆知識:なぜ浄土真宗には位号がないの?
浄土真宗には位号がないのが特徴です。そもそも浄土真宗には「戒名」という概念がないことと、死後の世界、つまり浄土では誰もが平等であるといった教義に基づいて、位号をつけることがあまりないようです。
何故なら位号には、信心の深さや寺院にどれだけ献金をしたか等で決まるランクもあるからです。例えばよく聞く「居士」(こじ)は成人男性の戒名に用いられる位号ですが、元来は上級武士や、裕福で士官の必要がない在家信徒につけられるものでした。ですから現在も、居士はある程度地位の高かった故人に用いる位号です。浄土真宗では戒名ではなく「法名」というものを使います。こちらも現代では故人に授けるのが一般的ですが、位号のかわりとして、法名の一番上に「釈(釋)」もしくは「釈(釋)尼」をつけます。男性には「釈」(しゃく)、女性には「釈尼」(しゃくに)を用い、どちらもお釈迦様の弟子といった意味です。
ところでなぜ、浄土真宗には戒名がないのでしょうか。これは浄土真宗の教えを書いた古典「歎異抄」にもある「悪人正機」や「他力本願」といった教えに基づいています。
どういうことかというと、人間は本来罪深い存在である。そういった己の真の姿、つまり「悪人」であることを自覚してこそ救われるのだという考えです。平和に生きている善人が救われるなら、己を知って苦しむ悪人こそ救われるはずだというのが「悪人正機」の意味です。自分がつまらなく情けない人間であると知っているからこそ、仏に全てをゆだねることができる。これが「他力本願」です。
ある意味では人間に価値はない、みな「凡夫」だというのが浄土真宗の考えです。愚かな人間が仏の戒律を絶対に守り抜くと言いきれるか?そんな自信は誰にもありません。そういうわけで他の宗派が行う「受戒」の儀式、つまり仏門の戒律を守ることを誓う儀式ができないのです。戒名は受戒をした証にいただくものなので、受戒ができないということは当然、戒名もないままです。しかし仏の道に進むことには変わりがないので、新しい名前が必要になります。そこで浄土真宗では「法名」が使われるのです。