六七日とは?
六七日とは(むなのか・むなぬか)とは、初七日から5週間後、故人の命日を含めて42日目にあたる法要のことを指します。命日を含んだ時点から数えて7日目の法要を初七日(しょなのか)、その1週間後を二七日(ふたなのか)と数えることから、5週間目を六七日と呼ぶのですが、関西では命日の前日から数える場合もあるので注意が必要です。
六七日の読み方は複数あり、「むなのか」「むなぬか
が一般的ですが、「ろくしちにち」という場合もあります。
六七日の法要は、49日のあいだ成仏できずに現世との間をさまよっていると言われている故人の魂を、無事に極楽浄土に送るための儀式です。故人は亡くなってから7日ごとに計7回、閻魔大王によって生前の行状を審査されると伝えられています。ですから法要は七七日(しちしちにち)つまり49日まであるのです。この期間を「中陰」といい、遺族がお経を唱えることで故人の罪や穢れが洗われると信じられてきました。中陰の期間が明ける49日目の忌明け法要、四十九日は特に大事なものとされています。
現代では諸事情から葬儀と同日に初七日を行ったり、または六七日を数えず35日目で中陰の法要を切り上げる家庭も増えてきました。中陰の期間には祭壇(中陰壇)に遺骨や遺影と仮位牌が置かれていることが多いですが、白木の仮位牌は49日目の忌明けまでに本位牌に作り替える必要があります。位牌は故人を表しているとも言われているため、いつまでも仮のまま放置しているのは良くありません。仏具店などにもよりますが、位牌の名入れに10日以上かかることがあるため、六七日を待たずに法要を切り上げるのなら早めに依頼した方がいいでしょう。
六七日の豆知識:人は死んだらどうなるの?
芥川龍之介の名作「藪の中」は、ある男の死を巡って登場人物がそれぞれ少しづつ違うことを話すうちに真相が見えなくなるといった話です。その中で男が刃物を胸に突き立てられたのち「中有の闇に沈んでしまった」という表現がありますが、この中有(ちゅうう)は中陰のことを指します。つまり刺された男は死後の世界をさまよっているのです。
死後の世界といっても宗派などによって色々な世界観や見解がありますが、一般的に仏教では人は臨終を迎えると現世と「あの世」との間を成仏できずにいると言われています。その時点から49日目まで閻魔大王による裁きが行われ、罪が重いと地獄に落とされるのは有名な話ですが、実は裁きの間に死者は全くの孤立無援というわけではありません。閻魔大王の裁きは7回行われますが、その7回ごとにそれぞれ別の守護がついているそうです。
生前の未練を断つために初七日には力強い不動明王が、まだ仏の教えに慣れていない時には知恵や功徳を教える釈迦如来、文殊菩薩、普賢如来がつき、それから仏の道から落ちてしまったものを救う地蔵菩薩も現れます。そしていよいよ裁きも大詰めに入った六七日には、お釈迦様に代わって未来を救うという弥勒菩薩が現れると言われています。
今まで姿かたちのあった人がこの世にいないことは寂しいものです。せめてたくさんの仏様に守られ「あの世」を過ごしていることを願って、手を合わせることも必要なのでしょう。