満中陰とは?
満中陰(まんちゅういん)とは、満中忌とも呼ばれ四十九日のことを指します。人は死を迎えた時から49日間は「あの世」と現世の狭間にいると言われていますが、その間に故人は7日ごとに閻魔大王の裁きを受けているそうです。裁きによって生前の行状が暴かれ、その罪の重さによって地獄など罪状に応じた世界に送られるか、極楽浄土に行くかの審判がなされると信じられてきました。裁きが行われる期間を中陰といい、49日目に中陰が明けることから満中陰(まんちゅういん)と呼ばれます。中陰の間は故人の成仏を願うためにお経をあげ、家族や親族など故人と縁の深かった方々を招き法要を営みます。
この日をもって「忌明け」(きあけ)となり、遺族は喪に服す時期を終え、ようやく日常に戻ります。そのため法要後には忌明けの会食を開きます。
満中陰法要は故人にとっても遺族にとっても大きな節目となる法要なので、比較的盛大に行う傾向があります。お供え物も法要後に参列者で分け合うことが多いので、日持ちのする個包装の菓子折りや果物、または消耗品である線香やろうそくなどが好まれる傾向にあります。御仏前としてお金を包むことも必要ですが、これは法要の会食代も含まれており相場は一万円前後が多いようです。また関西や北陸の一部地域でよく聞かれる「満中陰志」(まんちゅういんし)とは、満中陰のお返し、つまり香典返しとして渡す品物のことです。金額は頂いたものの半額程度でのしの表書きも関西では「満中陰志」と書かれ、水引も関東で一般的な白黒ではなく黄色と白のものを使うことがあります。
満中陰の豆知識:「黄のし」文化は京都から始まった?
「黄のし」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。デパートなどで法要のために菓子折りなどを買うと時々「黄のしにしますか?」と確認されることがありますが、なかなか聞きなれない言葉かも知れません。この黄のしというのは、のし紙に印刷された水引の色を白と黄色のものにしますか?という意味です。一般的に法要など仏事に使われる水引は白と黒ですが、関西や北陸地方の一部では事情が異なります。白と黄色の水引なのです。
これには京都に皇室があったくらいの遥か昔にさかのぼった理由があります。古来から皇室では慶事の際に紅白の水引が使われていました。紅といっても鮮やかな赤ではなく、天然の紅花を染料に使った本物の紅色は限りなく濃い深緑色をしています。そのため庶民が白黒の水引を使ってしまうと紅白だと誤解されてしまうため、はっきりと区別をつけるために黄色と白のものを使うようになったと言われています。この文化は京都をはじめ近域の関西や、京都の影響が色濃い金沢など北陸地方の一部で今も生きているのです。
ちなみに天然の紅色は見た目は濃い色ですが、湿った指でこするなどすると肌に赤色が移ります。また紅花の別名は末摘花(すえつむはな)、「源氏物語」に出てくる父の形見の毛皮を身にまとった没落貴族の娘の名とも一緒です。その古風な頑なさから光源氏を閉口させた女性ですが、一途に待ち続ける姿が彼の心を変えたのです。