積み団子とは?
初七日、四十九日といった、法要で仏様にお供えされる、積み上げられたお団子ですが、
いったいどのような意味あいがあるのでしょう?仏教徒における、葬儀や法事では「積み団子」という風習は日本独自のもののようで、僅かに、日本による影響を受けていた国では「積み団子」の名残があるようです。
この風習には、古よりご先祖様への感謝、そしてこれからご先祖様となられる故人が、成仏し、先祖となるまでの道筋での食事が、このお団子ということで、お供え物として「積み団子」を捧げるという一説があります。
しかし「積み団子」という風習でも、地域によって様々に違いがあり、団子の数の違いがあったり、または団子ではなく、お茶碗に山のように盛り付けられたご飯をお供えする地域もあったり、積み上げられたのが団子ではなく、里芋であったりと、地域や時代でかなり変わってきます。
ただし、お供えをする想いとして共通していえることは、故人が無事に成仏してほしいという願いではないかということです。極楽浄土への四十九日の旅路に必要なお供が、願いという心がこもったお供えである「積み団子」ということなのです。それが、ご飯や里芋だとしても心は変わりません。お供は多いに越したことはないとしても。
積み団子の豆知識:もとは積み里芋?
現代の日本の主食はお米です。お米(もち米)を団子にしてお供えするのが「積み団子」なのですが、古代日本における主食は地域によっては里芋だったとされる話もあります。当然、稲作が大陸より伝わる以前のことです。縄文から弥生時代のころの主食といえば貝類か栗類だったというのが定説ですが、芋類を主食としていた人々もいたのかもしれません。
実際に里芋をお供えしたり、お米を里芋の形の団子に加工しお供えしたりする地域もあるようなのです。
こうして考えると、このように死者を弔い、成仏を願うという、信仰心に似た感情や念が古代日本人にも、そして世界中の人々にも存在していたのだということが伝わってきます。いや、そうではなく、むしろ古の人々の伝統や願いという念が、現代にまで脈々と伝わっているのです。古に生きた人々とは間違いなく我々のご先祖様であり、ご先祖様がいて我々が存在する。そのことに感謝し、崇拝することがお供えをする心なのです。
一つ一つの団子、或いは里芋に心を込めて積み上げていく、それを口にした旅の途中のあの人はきっと、極楽浄土で幸せに生きていくことができるでしょう。