合祀とは?
元々は神道における、複数の神をひとつに合わせて神社に祀る用語のことをいいます。祭神を合わせて祀ることで合祭―ごうさい・かぶさい、と呼ばれることもあります。この神々を合わせて祀る合祀は、明治~大正期に神社合祀令の発令により、多くの神社で合祀が行われましたが、後に廃社に至りました。一部では合祀から祭神を元に戻し、神社を再建しています。
現在では、合祀を意味することとして、神道のように神々を祀るという宗教に関係なく、一般においても、複数人の遺骨を合わせて埋葬する方法を合祀と呼ぶことが多くなっています。この他人の遺骨と一緒に混ぜて埋葬する合祀を選択される遺族には、現代社会を象徴する様々な事情が背景にあります。勿論、故人が自らお墓の継承による問題などから、合祀を望まれる場合もありますし、無縁者など、やむを得ない場合もあります。ですが、遺族にとって最大のメリットとなるのが、費用が一般の埋葬に比べ大きく抑えられるということではないでしょうか。お墓の購入費用と、その後の維持費のことを心配する必要がないというのが、様々な事情を抱える遺族にとってメリットとなっているのは間違いありません。
しかし、実際に合祀で埋葬した後に、お墓や、納骨堂へ埋葬してあげることはできません。何故ならば、合祀してしまった後では、複数の遺骨と混ぜ合わされ、故人の遺骨を特定することはできなくなってしまっているからです。
合祀の豆知識:戦後、靖国神社に合祀された方々
靖国神社には、日本のために戦争で殉じた人々を祭神と崇め、祀られています。第二次世界大戦当時、祖国日本を護るために命を賭けた軍人たちは、死後にその魂が、靖国神社に祀られることで自らが殉国者となることに誇りを見出し、戦場に我身を投げ打ったのです。
敗戦後、連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)では、日本軍を指揮した東条英機-陸軍大将-をはじめ28名が「A級戦犯」として起訴、うち7名(東条も含む)が死刑、16名が終身刑の判決を受けます。B級・C級戦犯や「A級戦犯」が靖国神社へ合祀されたのは1959年~1978年にかけてのことです。
裁判後、受刑者たちは靖国神社に祀られてはいませんでしたが、遺族たちによる靖国神社参拝への合祀が切望されるようになり、その後、戦犯者の公民権回復が認められ1959年3月に、靖国神社へ、B級・C級戦犯者の「祭神名票」が送付されることになりました。