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関東と関西では骨壷の大きさが違うということを身をもって感じた話

骨壺の大きさが、関西と関東では違う。関東は火葬したあと、全身の骨を残らず骨壺に収納するため、それらが全て収納できるくらいの大きさでないといけないのと違い、関西では、主要部位から少しずつ抜き取って収納するため、小さくても大丈夫なのだそうだ。残った骨は合同埋葬されるらしい。(地域によって風習やしきたりなどにより様々であり、一概には言えない)

現金をビットコインや電子マネー化していた場合でも現金同様に相続税は課税?

一時期から比較すると、ガソリンの価格は安定してきているように見受けられるが、かつては週末ごとに1リッターあたり数円値上がりしたかと思えば翌週には値下がりしていた。クルマ好きとしては安い方が良いことには違いないが、あまり乱高下して貰っても困ってしまう。ところでガソリンスタンド(他に買い物をした場合も含む)で代金を決済する場合、通常は現金やクレジットカードで決済する人が多いと思うが、最近、筆者はSuicaのような電子マネーを利用している。


きゅうりや茄子に割り箸などで脚を付け馬や牛に見立てる精霊馬の幾つかの謎

彼岸を終えたばかりでまだ少し先ではあるが夏の盆では、精霊馬と呼ばれるきゅうりや茄子などの野菜に割り箸等で脚を付け、馬や牛に見立てる風習がある。この精霊馬の風習の由来として、しばしばいわれるのが、次のようないわれである。先祖の魂が戻って来るときは早く帰ってきて欲しいから、先祖の魂をきゅうりの馬に乗せてお迎えし、帰りは落ち着いてゆっくり帰って頂けるよう茄子の牛に乗せてお送りする。しかし、このいわれについて考えてみると、不思議な点が幾つかある。

「最期をどう迎えたいか」という希望が希望通りにいくとは限らないという話

「この間、函館に行ってきたんだ」薄暗い喫茶店で父が言った。今年77歳の父は私が小学生の時に家を出て以来ずっと独り暮らしだ。私も成人と同時に実家を出て、今ではすっかり独身生活に慣れている。父と私の住処はさほど離れていない。それどころか徒歩で10分ほどだ。しかし互いの生活や心情などが絡み、その距離は気が向いたときに会うくらいでは埋まらない。父が故郷としている函館とどれくらい違うのだろうか。「もう俺も年が年だからよ、色々思い出すんだよな」と呟いていたが、これも一種の終活なのだろうか。


お茶菓子としてだけでなくお彼岸やお盆でもお馴染みのお菓子「落雁」

お彼岸に近くの和菓子屋さんにお仏壇に差し上げる牡丹餅を買いに行った時の事です。店員さんに頼んでふと見ると、横に綺麗な菊の花をかたどり積み重ねたお菓子がありました。『打ち菓子』と書いてあります。「これはいつもあるのですか?」と聞くと「いえ、お彼岸とお盆だけです」との返事でした。『打ち菓子』とは米粉など穀類の粉に砂糖や水飴などを加え、木型に詰め乾かして打ち出した干菓子で“落雁„や‟塩釜„などの総称です。

生涯独身で親兄弟もいないおひとり様が亡くなった場合の相続財産はどうなる

最近孤独死に関する報道を目にすることが多くなった。悲惨な話しではあるが、減少するどころか増加傾向であると言う。筆者はこの報道に接する度に、どうしてもある人を思い出してしまう。ある人とは、一代で財を築き乍ら未婚のまま孤独死してしまった男性のことだ。


「私が死んだら鳥葬にしてもらいたいのよ」と話すマツコ・デラックスさん

「私が死んだら鳥葬にしてもらいたいのよ」と、以前、マツコ・デラックスさんがあるテレビ番組で語っていた。鳥葬とは、ひらたく言えば遺体を鳥に食べてもらうという葬送の儀式であり、遺体の処理方法のことである。主にチベットやインドなどの一部で行われている。日本では今でも土葬のところがあるようだが、主流は遺体を火で焼いて、全て灰にしてしまう火葬が一般的である。

大阪市天王寺区にある日本最古の仏教寺院「四天王寺」のエンタメ要素

文部科学省は学習指導要領を改定し、2020年度から小学校社会科教科書の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」の表記にすることを決めた。それは「聖徳太子」は死後の呼称で、歴史学的には「厩戸王」が一般的であるからという。かつては1万円札に採用された「聖徳太子」だが、1984年に「福沢諭吉」に変更後、生活密着のシンボルから「十七条憲法」、「和をもって尊しとなす」で知られる歴史上の一人物として遠ざかってしまったと感じるのは筆者だけだろうか。そのような「聖徳太子」のなしたことが今日に至るまで継承されている場所がある。聖徳太子が建立した、「四天王寺」だ。


不吉という理由で宮型霊柩車が禁止傾向にあるが私は少し残念な気がしている

近頃、宮型霊柩車を見なくなったように思う。少し調べた結果、それは個人の気のせいではなく全国的な傾向だった。維持費が莫大であること、火葬場での乗り入れを禁止する自治体が増えたことなどが主な原因という。また社会的な繋がりが薄れ、葬儀も親族のみで済ませることも多くなった。死を間近で見る機会がなくなった分、自分には関わりのない不吉で不快なもの、避けるべきものとする時代の変化もあるのだろう。

江戸時代、旅先で亡くなった場合は旅先で弔うか故郷に帰ったかどちらか?

日本の近世は、「死者は遺体や墓やこの世に宿らず、速やかに死後の世界に行く」とする中世的な信仰から、「死者は墓や遺体に宿って、この世に留まる」とする新しい信仰に移っていく、いわば過渡期であった。そのため、近世に入る前には希薄であった、何らかの理由で故郷と遠く離れた場所で亡くなった死者は、何とかして故郷の墓に埋葬されるのが、幸せだとする価値観が生まれた。


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