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仏教音楽の一つ「仏教讃歌 梅花流詠讃」には全国大会まで存在している!

ここ最近、お寺のホームページを見る機会が増えた。コラムを書いているうちに色々と知りたいことが出てきて、さらには座禅会にも出てみようかと思ったからだ。実家の宗派と近所にあるお寺が曹洞宗なので、同派のものを見ることが多い。するとその中に「梅花講」という文言が含まれていることに気づいた。自作のホームページでは掲示板なども独自のネーミングをすることが多々あるので、初めはその類かと思ったが違った。

預金口座の相続手続にはホトホト閉口させられたが意外な収穫もあったという話

母が亡くなった時の、銀行での相続の手続きには閉口した。母は父と離婚をして、一人で出ていってしまったので、私たちとは一応縁は切れている。しかも彼女が亡くなった時に遺されていたものとは、わずかな現金とほとんど残高の残っていない預金通帳が三冊だけだった。俗に言う相続争いなんて、全く次元の違う世界の話しだ。だけど、わずかでも私たちに遺してあげようと思ったのだから、受け取ってあげるのが、娘としての義務であろう。というわけで、生まれて初めて相続の手続きを行ってみた。


遺品整理で写真や映像の処理に困ったらデジタル化がオススメ

ネットの普及で、何か特別な活動をしているわけでもない「普通の人」の情報ですら簡単に分かる世の中になった。ある日、これまで全く何の縁もなかったある人の存在を知った。その人は存命ならば106歳。恐らく元は工業高校の教師で、学徒動員の教え子を見送り、昭和63年に金婚式を迎えた。老後は夫婦で旅行や登山、絵画などをして過ごしていたようだ。彼の名前でネット検索してみると一件だけそれらしき情報が出てきた。なぜ検索する前から詳しいのか。実は彼を撮ったアルバムが駅のゴミ箱に捨てられていたからである。

同じ仏教国ではあるが、日本と違い何故タイにはお墓がないのか調べてみた

友人が10数年前タイに旅行に行った時の話をしてくれました。ツアーでいったのですが自由時間にぶらぶらバンコク市内を散策していたところ、民家の門の脇に祠のようなものがあり、骸骨が祀ってあったというのです。もう時間がたっていることもあり、今も幻のような気がするそうです


喪服やブラックフォーマルの購入は新社会人としての身だしなみの1つ?

「ブラックフォーマルを買うべきか」ーー社会人になったら、身内の不幸があるなしに関わらず多くの人が、どこかの時点で考えることではないだろうか。大手百貨店でも年に1度は「ブラックフォーマルフェア」という催事を開催している。会場では「1着は持っておいたほうがいいですよね」というお約束のフレーズに若干購買欲をそそられる。

病院から紹介された葬儀社の強引な営業を断る方法

臨終の場になる可能性が圧倒的に高い病院。そんな病院には、ある特定の契約を交わした葬儀社が24時間365日、駐車場で車中待機をしている。ちなみに病院と葬儀社が交わしている具体的な契約内容は、亡くなった方がでた場合に、病室などから霊安室にお連れすることなどが盛り込まれている。恐らく多くの人が霊安室にお連れするのは病院のスタッフだと思いこんでいるだろうが、実は葬儀社のスタッフだったのだ。そして葬儀社はその業務を請け負うことを条件に、そのご遺族に、葬儀社として自由に営業が認められているのだ。


失踪宣告をし法律上「死亡」と認定され、遺体がない中で行う葬儀について

個人的に気になっていた。ある人が突然消息を絶ち、何年も「行方不明者」として扱われ、そのまま何十年も経った場合、いずれ家族も諦めるだろう。つまりもう死んだものとして、完全に彼の存在を葬ることになるはずだ。その場合も葬儀は必要なのか、空の棺を燃やすことになるのかと。

縄文〜弥生時代にも存在した葬儀の習俗「再葬墓」について調べてみた

春秋の彼岸、盆などに、我々は先祖のお墓参りに出かける。その後親戚一同集まって、ぼた餅を食べたり、お酒を飲んだりして、故人を偲ぶのが季節の風物詩とされてきた。しかし最近では、先祖代々、または夫妻とは一緒のお墓には入りたくないと、前もって自分だけのお墓を準備する人、更には木の下へ埋葬する樹木葬、海にご遺骨をまく散骨、果てはロケットで打ち上げる宇宙葬など、「墓標・墓地」の有無にこだわらない人も少しずつ増えてきている。時代に応じて変化を遂げてきた「墓」の有り様、ご遺骨の「取扱方」だが、縄文・弥生時代の日本には「再葬」という習俗があった。


仏壇が二つあった我が家で起こった嘘のような本当の話

古いあばら家に住んでいた頃、祖母が突然、奇妙なことを言い始めた。
埋めてしまった井戸から、姿の見えない男が、息を切らしながら登って来るというのだ。それも、決まって真っ昼間の一番眠くなる時間帯に。私たちは、祖母の勘違いか、あるいはついにボケてしまったのかと焦った。しかし、日を追うごとにブレることのないその発言は次第に真実味を帯び初め、私も怖くなってきた。

独身で亡くなった者の位牌を、その両親などと一緒に祀る沖縄独特のある慣習

近代になる前には「日本」ではなかった沖縄文化圏にも、現代日本的な意味での「無縁仏」に近い概念は、幾つか存在する。そしてその中には、現代日本での「無縁仏」の概念以上に、例えば祟りがあるなどとして重大なタブーとされ、更には様々なトラブルの要因となったものも、決して少なくない。


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