霊柩車とは?
遺体を入れた棺を、運ぶための自動車のことです。臨終のあと、病院から遺体安置所へ運ぶときの自動車(通称寝台車と言われています。)、葬儀終了後の葬儀式場から火葬場へ運ぶときの自動車があります。
この葬儀式場から搬送する際に用いられる霊柩車は、いわゆる金色で派手に装飾された宮型霊柩車や、高級車を改造し、簡素な装飾でシックなイメージの洋型霊柩車などがあります。また数名の人が同乗することのできるタイプのバス型霊柩車は、マイクロバスを改造して造られたものです。
日本の宮型霊柩車の起源ですが、もともと遺体は、輿の上に棺を乗せて担いで運んでいました。大正時代の始め、アメリカから霊柩車を輸入したのですが、そこに輿を合体させたのが、霊柩車の始まりのようです。しかしひとくちに宮型といっても、地域によってはその特徴はさまざまです。地域で好まれる形や色彩が、それぞれに違うということですね。
しかし最近この日本の伝統的な宮型霊柩車が、姿を消そうとしています。宮型霊柩車から代替わりしようとしているのは、シックなデザインの洋型霊柩車。近年は一目で分かってしまう派手な霊柩車の人気が急速に落ちています。不吉なイメージがつきまとう霊柩車は、どうしても疎まれてしまう存在で、自治体は火葬場の周辺地域の住民への配慮として、宮型霊柩車を禁止しているところも結構あるみたいなんです。
霊柩車の豆知識:鉄道車両の霊柩車?
かつて皇族の崩御に伴い、その遺体を搬送させるために、霊柩車の鉄道が造られたことがありました。一番はじめに造られたのは、1897年。英照皇太后の遺体を、京都郊外の後月輪東山陵に搬送するための霊柩車両です。その次には明治天皇。1912年、東京から伏見桃山陵へ搬送する際に造られました。そして1926年には大正天皇の崩御の際にも造られています。
一般用の霊柩車両としては、1915年に名古屋で尾張電気軌道が、既存の鉄道をリフォームして霊柩車両を造ったことがありました。車体の中央部分に棺を出し入れできる扉を付けていたとされています。これは1935年まで実際に使われていました。
大阪でも1915年に霊柩車両の構想は持ち上がりましたが、経済成長の波とともに人口が急激に増えてしまったことで、都市化が進み、自動車の普及によって実現に至りませんでした。また東京でも1921年に一度、京王電気軌道(現在は京王電鉄)に霊柩車両の計画が持ち上がったのですが、大阪と同様に急激な都市化拡大のために、実現には至らなかったようです。