聖礼典とは?
キリスト教の教派である、プロテステント教会における信仰上の儀式をさすもので、主には教会への入信の際に執り行われる儀式である「バプテスマ(洗礼の儀)
と、イエス・キリストの処刑前夜、使徒たちと共にした最後の晩餐から由来する、神への拝礼の儀式「聖餐
のことをいいます。
英語圏では一部、サクラメントといわれる、カトリック教会で用いられる秘跡を示す用語が使われる場合もありますが、日本プロテスタント教会では、聖礼典もしくは礼典という用語が使われます。
そもそも聖礼典というものを行うことの意義というのは、キリスト教を信仰する教徒たちの主である、イエス・キリストが定められた、恩寵の手段のひとつとして「洗礼」を受け、神様からの恩恵を授かることができるというものと、その信仰心を日々の行動で繰り返し(心から)行なうことによって神様からお恵みが与えられるというものです。
「洗礼」というのはよく、教会へ入信するための入会式のようなニュアンスで捉えられがちではありますが、そうではなく牧師から「洗礼」を受ける者と神様との契約を行う、聖なる儀式なのです。
そして「聖餐」とは、心から深く自らの行いを反省し、悔い改め、神様から赦しを与えて頂くことに日々感謝を捧げることなのです。
聖礼典の豆知識:恩寵の手段とは何か
恩寵という、神様から、人々に与えられる慈悲の心や神の恵みといった、恩恵を授かるために、キリスト教徒が聖書に示されているその手段に則り日々の行動によって信仰の心を表すのです。
聖書に記された手段こそが、恩寵の手段なのですが、毎日欠かさず聖書を読みなさいというもの、祈りの際にはその時を聖別しなさい、財や心を捧げる奉仕することに励みなさいというのがイエス・キリストが定められた教えなのです。
これらの教えを行動にするということの、教徒にとって非常に重要で大切なことは、これらをただ毎日の生活で何気なく表面的にだけで行うのではなく、そこには神様への深い信仰の心と感謝の心が伴っていること、そしてこれを毎日、決してマンネリ化することのないよう、初心の気持ちをもって繰り返して行っていくということなのです。
人という生き物は、生きていくうえで数多くの罪を背負っていかなければなりません。生きていくうえでの罪を日々悔い改め、神様に赦しを与えて頂くために祈りを捧げ、毎日欠かさず繰り返し行うことによって、神様からのありがたい恩恵に授かることができるのです。