みなさんは「墓友」という言葉を聞いて、どのようなイメージを浮かべるでしょうか。私は、去年の春にとあるホラー番組の放送で聞いたイメージが浮かんできます。
「墓友」は「はかとも」とよみます!
確かに「墓友」と言うのは、文字通り血も繋がっていない他人と同じにお墓に入ることを意味しています。
このことは、先祖代々同じ墓に入ることが一般化している日本人にとっては、少々気味の悪い話かもしれません。しかし、現代の日本において、「墓友」は少なくともフィクションの中の話ではなくなりつつあります。
そこで今回は「墓友」の形態と、どうして今「墓友」が必要とされているのか、をご紹介します。
実は共同墓地や納骨堂、樹木葬も墓友の一種
「墓友」とはどのようなものかについて考える際に、このコラムでも先日ご紹介した「樹木葬」などの共同埋葬・共同墓地が1つの基点として考えられます。
共同墓地は寺院の他に、老人ホームやNPO法人が管理しているものが一般的です。これと比較して、「墓友」におけるお墓とは、より狭い範囲での共同墓地と言えるでしょう。それは、顔も知らない赤の他人と同じ墓に入るのではなく、共に墓に入ろうと企図する数人で共同埋葬されることに意味があります。また納骨や埋葬の際には共同墓地の中でも、合祀するのか個別埋葬するのか、も選択することができます。もちろん個別埋葬されるより「墓友」との合祀の方が、費用を安く抑えられるメリットもあります。
家族の絆が弱くなったことも一つの要因
では、なぜ今「墓友」が必要なのかという問題について考えましょう。
それは、伝統的な家族のような血縁的紐帯が変容しつつあるからです。今の日本では、地方の若者は都会で就職すると、在家に戻ってこない場合が多く、一方で、そもそも少子化で地方にある先祖伝来の墓地を継承できない例も多くあります。この他に結婚の晩婚化など様々な要因から、結婚して生まれ故郷に帰り、墓地を管理して、子供を産んで継承者を確保するという言説が通用しなくなってきています。
この問題は、「おひとりさま」や「孤独死」といった連日のニュースに表れています。「墓友」という概念は、上記の「おひとりさま」や「孤独死」の不安を抱える方の心埋める手段として今後活躍するでしょう。なぜなら、「墓友」を検討する際には、伝統的な一族一墓のような感覚はなく、あくまで個人と個人の社会的な交際関係に基づいて決められています。「生涯の友」や「家族のような付き合いのある方」にとって、「墓友」という概念は、自分を死後までも生前のコミュニティに受け入れてもらえる敷居を下げる効果があると言えます。このように現代社会の中ではお墓を考える際にも、家ではなく個人のつながりが見直されつつあります。
一つのネットワークとして墓友を捉えるのはどうでしょうか
以上、「墓友」の形態とその必要性について、ご紹介しました。現在も「墓友」を推進するためにいくつかのNPO法人が活躍しています。まだまだ受け入れるには障害の多い感覚ではありますが、独り身の高齢者や身寄りのない方にとって、「墓友」という考えは心強いネットワークともなりうるでしょう。