本尊とは?
寺院などで、礼拝をするために安置されている仏や菩薩像のことをいいます。また脇侍や眷属(けんぞく)を従えた釈迦三尊像の中尊を本尊と呼ぶこともあります。あくまでも礼拝を対象とするものですので、画像や曼荼羅なども本尊となります。
それぞれの寺院が建てられてきた趣旨や信仰などによって、本尊として安置される形態が違ってきたのです。
例えば、天台宗では阿弥陀如来、真言宗では大日如来、曹洞宗では釈迦如来、日蓮宗では曼荼羅などが本尊とされています。
家庭では仏壇の中に本尊が安置されているのが一般的です。しかも仏壇は、子々孫々受け継いでいかなければいけないものですので、そうそう本尊を変えることはありません。
しかし、もし事情によって変えなくてはならなくなったときや、仏壇を新たに設置することになった場合などは、仏壇・仏具店で購入することになります。仏像は彫刻品として高価なものが多いので、鋳造品や、あるいは仏様が描かれた掛け軸を据える人も少なくないようです。
ただし、必ず信心している宗派のものを据えなければいけませんので、そこは注意が必要です。お寺さんや仏壇・仏具店に相談してみるといいでしょう。
本尊の豆知識:仏様に手を合わせるのは何のため?
日本人は習慣として仏壇や、仏像、またお墓参りをしたときなどさまざまなシーンで手を合わせることがよくあります。またお寺の本堂に行けば、お賽銭を入れ、鈴を鳴らして手を合わせるのは、日本人にとってごく自然な行動です。手を合わせることを「合掌(がっしょう)」と言いますが、この行為の起源は、古く古代のインドで行われてきた敬礼法だと言われています。
インドは、右手は清浄、左手は不浄の手であるという考え方があり、ヒンドゥー教を信心している文化圏は特に、食事をするときにも、基本的には左手は使いません。右手だけで食事をします。またトイレでおしりを洗浄するときには左手しか使わないといった徹底ぶりです。
このような意味合いをふまえて、仏教の考え方を解釈していくと、「手を合わせる」というのは、清浄と不浄を重なり合わせるのですから、この極端な二つの要素が混ざりあわさったものそのものが、人を表しているということを意味していると言えるでしょう。つまり清浄であり、不浄である、それが人そのものを表しているということに、ほかならないのです。つまり人の本来の姿は、清浄でもあり不浄でもあるということになるのです。