“葬式仏教”という言葉は現代の仏教を揶揄した表現として定着しつつある。本来、心を安らげるはずの仏教が単なる“葬儀屋”として暴利を貪っているという世間のイメージは根強いものとなっている。仏教各派の経済的基盤が主に葬儀によるものであることは事実である。しかし、近年は仏式にとらわれない様々な葬儀の形態が登場し、「葬儀不要論」も登場している。仏教の意義そのものが問われている現代において葬式仏教とはいかなるものなのか。
多様化する葬儀
近年、葬儀の在り方が問われている。散骨、樹木葬など多様な形式が登場し、そもそも葬儀なる宗教儀礼は必要なものなのかと疑問の目が向けられている。そうした中、最も槍玉に上げられているものがいわゆる“葬式仏教”であろう。暴利をむさぼると指弾される高額な「戒名」、曖昧な金額提示の見直しが迫られている「お布施」、さらに相次ぐ僧侶の不祥事も仏教の権威失墜に拍車をかけている。宗教学者 島田裕巳も戒名料の負担や、仏教は高度な学問であったことなどを指摘し葬式仏教を批判した。
また、近年のテーラワーダ仏教・ヴィパッサナー瞑想、それらを原点とするマインドフルネスのブームも、批判の土壌となっている一面が大きいと思われる。瞑想や身体操作を通じた「癒し」や、スピリチュアルな「気づき」といった、「悟り」に通じるとされる感覚を追究する立場からは、葬式仏教は世俗にすぎるであろう。現代において葬式仏教の存在意義は薄くなるばかりである。
穢れと仏教
日本では古来より死体は「死穢」と呼ばれ「穢れ」の極みとされてきた。そして僧侶は鎮護国家を請け負う国家公務員だった。国家公認の官僚僧侶=「官僧」にとって国を「穢れ」で汚すわけにはいかない。それゆえ官僧は死を避け、天皇や貴族の葬送などで死穢に触れた後は公式の行事への参加は憚られた。葬式仏教ではない「本来の仏教」の僧たちは死穢を禁忌したのである。
古代から中世にかけて一部の特権階級以外の死体は穢れた物として破棄されてきた。日本史学者 松尾剛次は、鎌倉幕府が死体を路上に捨てることを禁じる法令を出したことをあげ、そういうことが頻繁に行われていた証左であると指摘している。
穢れを突破した遁世僧
穢れた物として捨てられた死体に手を差し伸べ供養したのが、官制仏教を離脱し野に下った「遁世僧」であった。遁世僧とは、松尾の定義では、鎌倉時代に出現した、法然、親鸞、道元ら鎌倉新仏教の僧侶、または明恵、叡尊といった旧仏教改革派の僧侶たちを指す。彼らは国家公務員である官僧と異なり庶民の救済に務めた。
彼らには「穢れ」を克服する理論があった。例えば浄土宗開祖 法然は阿弥陀仏に帰依し「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで極悪人でも極楽往生できる、救われると説く。念仏の功徳の前には死穢などは存在しなかったのだ。彼らは官僧から穢れた存在とみなされながらも民衆の葬送に従事した。それは苦界を生き尽くし、死してなお、忌避された民衆たちへの慈悲の心であった。現代に通じる葬式仏教はここから始まったといえる。
慈悲から始まった葬式仏教
葬式仏教の理念は慈悲であった。鎌倉時代の遁世僧たちは「穢れ」を克服し、死者に慈悲の手をさしのべた。島田は「奈良の古寺にひかれるのは葬式仏教がしない、純粋な仏教の姿を見いだしている」と述べているが、純粋な仏教なるものが、深遠ではあるが難解な哲学理論をさすのであれば、無学な凡夫たる筆者は葬式仏教本来の慈悲の心にふれたいものである。
参考文献
■松尾剛次 1995「鎌倉新仏教の誕生」講談社
■松尾剛次 2011「葬式仏教の誕生」平凡社
■島田裕巳 2010「葬式は、要らない」幻冬舎