日本では、古くより神式の葬式と仏式の葬式が執り行われてきた。仏式の場合、線香を用いることに対し、神式の場合は玉串が用いられる。このように、双方とも一見すると共通点がまったくないように思える。ただある地域では神式の葬式と仏式の葬式でどちらで執り行うか決めかねるといったことが多い。これは、ある地域で神式と仏式で葬式の境界線が曖昧になっているということではないか。今回はこの曖昧な境界線を探っていきたいと思う。
神仏習合と神仏分離の歴史
日本へ仏教が伝来した当初、神と仏は同じものとして信仰されていた。そして、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が権現として現れたという考えが広まった。そして戦国時代になると諸宗はひとつという枠組みまでも完成した。
ところが明治時代になると、神道国教化の動きが活発化して一転、神仏分離の考えが多数派を占めるようになった。これを機に全国各地では廃仏毀釈運動が行われた。この運動により、信仰していた仏具などが破壊されたことで、仏教から神道に信仰の対象を変えていったのである。のちにこの運動は落ち着いたものの、人々の気持ちは変わることはなかった。
葬式に関しても例外ではなく、神道で執り行う人が増加した。そこで神仏習合を唱えていた時代には曖昧だった葬式の境界線も、神仏分離によって神式と仏式の葬式は相容れないという考えが国民のなかに定着したのである。こうしてみると神式と仏式の葬式が曖昧でないことは一目瞭然である。
特定の地域でみられる神仏習合の現象
しかし、世間に神仏分離の風潮が高まり続けたなか、神仏習合を貫いた地域が存在する。代表的な地域は宮崎県と熊本県である。
この両県では、古くから藩の決まりによって浄土真宗の信仰を禁止された経緯がある。このため、人々は藩に隠れて密かに浄土真宗を信仰していたのである。表向きは神道を信仰しているものの、隠れて浄土真宗を信仰していた人々が大多数だったと言われている。
宮崎県都城市にある東霧島神社では、寺院と神社の共存がみられる。そこで宮崎県と熊本県においては、葬式に関しても特例はなく神式と仏式の葬式の境界線が極めて曖昧であるといえる。
神式と仏式の境界線
神仏分離の時代にあっても神仏習合を貫いた地域では、古くは、葬式を執り行うとき神式と仏式で迷うことが多かった。現在も宮崎県と熊本県では神式と仏式の境界線が曖昧なためどちらで執り行うのか決めかねることが多い。神式と仏式では、共通点という面では少ないかもしれない。ただ神と仏を同じものとして信仰すると、境界線が曖昧ということにはならないのではないか。
そもそも故人も葬式の形態で悩んでほしいとは考えてないはずだ。そういった意味では神式と仏式の境界線を追求するということ自体がナンセンスなのかもしれない。