昨今、「就活」ならぬ「終活」のブームが来ている。婚活」「妊活」など「○○活」という言葉を耳にするが、これらの活動はあくまで、生命活動を健やかに続けていくものに対し、「終活」は生命が終わるときの為の活動と、極めて異質である。そんな「終活」だが、この活動の中で大きな存在感を示すのが、「葬儀屋」である。人の死によって利益がでるこの特殊な職業について今回は触れていこうと思う。
職業としての葬儀屋の成り立ち
葬儀屋は江戸時代中期から誕生したとみられる。それ以前日本は農村地区中心であったため、村のコミュニティの一環として行われていた。この日本の村にはかつて「村八分」というルールが存在した。掟を破った家にたいして村全体との関わり8割絶たれるというものである。言い換えれば二割は掟を破った家でも関わりがあることになる。それが「火事」と「葬儀」である。「村八分」にされた家でさえも、葬儀の際は近隣の家々に執り行いを手伝ってもらうことができたという。遺体は放置していればひどい異臭を放ち、感染症などの温床にもなりかねない為と考えられる。つまり当時から無視できない文化、風習でありたとえ時代とともに人々の生活は変わっても「葬儀」が消えることはなく、村のコニュミィティが瓦解しても「葬儀屋」としてこの風習は生き残っていくことになった。
戦後の葬儀屋
戦後は昨今の葬儀業界の基盤ができる重要な時期だった。戦後の復興期には経済的な面から質素・簡略化した葬儀が求められ、実際に主流だった。それが大きく変わるのは高度経済成長期である。
都市部の発達、核家族化がこの職業にも影響を与えている。というのも、核家族化により、親族間との繋がりが薄くなっている人も多い。いざその時になっても親族が遠方に住んでいれば連絡や連携が密にとりづらい。葬儀の協力体制を整えるためにも増々「葬儀屋」の存在は必須になる。
またこの時代は葬儀の行い方一つでその葬家の権威や象徴を示すようになった。祭壇に白木を使うようになったのもこの為である。それぞれの葬家のこだわりが強くなり、それに対応していく専門業者として葬儀屋が一つのサービス業としてその立場を確立していく。
死は誰にでも訪れ、誰もが必ずお世話になる葬儀屋だが…
現代では、葬儀屋を通さなければ葬儀をあげるのが困難である。死は誰にも訪れるものであり、この職業ほど誰もがお世話になるものはないだろう。にも関わらず、私たちはこの職業について何も知らない。その為なのか、国民生活センターに苦情が多く報告されるそうだ。葬儀の費用が不透明で、この職業を快く思わない人もいるだろう。しかしだからこそ葬儀について生前からよく知ることが社会人としてのたしなみといえるだろう。