ここ数年顕著に見られるようになった「葬儀の簡略化」は、故人の意向、経済的問題など理由はいろいろあってもいずれにせよ、時代のニーズと捉えられており、社会的傾向として、おおむね受け入れられている。そんななかで、とうとうそこまできたか、というような新聞記事が、去年の年末の頃に掲載された。その名も「ドライブスルー葬儀」だ。
ドライブスルー葬儀とは?
ドライブスルーの参列者は、専用レーンに進み、タブレット端末を使って記帳する。大きな窓越しに葬儀会場内の遺影を見ることができ、車の中から、火を使わない電熱式の焼香をするという。また、会場内にいる通常の参列者の焼香台の横にはスクリーンがあり、ドライブスルーで焼香する参列者の姿が映し出される。
この参列方法に、なおさら違和感をおぼえた。親族は、故人の遺影のとなりに、次々と車の中から手をあわせる参列者の映像を見せられる。そこまでして参列することに意味はあるのだろうか。
参列したいけど参列できないのが足が不自由な高齢者
ところが、その理由を聞いて頷かずにはいられなかった。
「高齢者や身体の不自由な人たちは、葬儀に参列したくても車から降りるだけで数十分もの時間がかかる。また、簡単に喪服に着替えられない状況の方たちもいる。ようやく参列出来たとしても、焼香のために長い時間立ったまま待機するのは無理がある。そういった人たちが葬儀に参列する負担を減らしたい」とのこと。
すでに現実となっている高齢化社会。そんななかで現れてきたこの問題は、ただ非常識だ、というだけでは解決できないのだ。「こうした、一人ではなかなか外出できない方々も、故人を偲ぶために葬儀に参列したいという気持ちは変わりありません。」そんな人たちの助けになるのが、ドライブスルーによる焼香だったのだ。
また、車内からの焼香の様子をスクリーンに映し出すのは「遺族の方々に、あの人は葬儀に来なかった、とか、きちんと喪服を着ていなかった、などと言われたくない」という参列者からの要望があったという。つまりは「ドライブスルー」は“簡略化”ではなく“多様化”の現れだったのだ。
ドライブスルー葬儀は「簡略化」ではなく「多様化」
シニアファーストが進む現在、こうした葬儀のかたちは増えていくだろう。「葬儀に来なかったと言われたくない」という利用者の意見には、現代の希薄な人間関係の一端を見るようで寂しさをおぼえるものの、それが現実であり、無視は出来ないのかもしれない。
参列者、遺族、そして一般世論をも納得出来るような理想の葬儀のかたちを、今後も探っていく必要があるのではないだろうか。