「坊主バー」なるものが登場している。その名の通りお酒を飲むためのバーで、お坊さんが接客してくれるといったものだ。この坊主バーについて考えていきたい。
ところで私たちは日常の中で様々な感情を抱く。その中には自分一人ではどうにもできないような感情もある。そんなときに役立つのは友人や家族、恋人などの親しい人だろう。しかし、親しい仲の人だからこそ言えないような悩みも中にはある。そんなときに役立つのがこの坊主バーなのである。
お坊さんに相談したいならお寺以外なら坊主バー
話を親身になって聞いてくれるお坊さんは、心強い味方になってくれる。どんな悩みを打ち明けても大丈夫という頼もしさがあるのだ。また、バーという場所も悩みを打ち明けるのに一役買ってくれる。お酒を飲みながら談笑するように、肩を張らずに悩みを打ち明けられるのだ。
そのような坊主バーだが、これに苦言を呈する者も少なくないだろう。本来厳粛であるはずのお寺、ひいてはお坊さんのイメージを損なうからだ。しかしこうは考えられないだろうか。この坊主バーは、現代におけるお寺である、と。
坊主バーがお寺の持つ社会的な役割を一部引き継いでいる
そもそもお寺とはなんだろうか。お寺とは葬儀の際だけではなく、本来は仏教の教えから相談事をお坊さんと一緒になって考える場所だ。そんなお寺は、現在減少の一途にある。我々が悩みを打ち明けられる場所がどんどん減っているとみてもよい。
相談する場所は何もお寺でなければならないわけではない。話を聞いてくれる人さえいれば、お寺でなくとも相談はできるだろう。そこで出てくる場所が、お坊さんのいるバーであるということだ。現代においてはお寺が減っているかわりに、そうした場所でお坊さんが相談に乗ってくれることが増えている。形を変えてお寺の機能を引き継いでいるということだろう。
このような柔軟な対応をしなければ、時代の変化とともに減っていくお寺という問題を解決することはできない。お寺という場所がなくとも、その機能を必要とする者はいる。そうした人々へ応対できるように、この坊主バーは生まれたのである。
もしかしたら病院や学校、会社にもお坊さんが在籍するかも?
坊主バーの是非については意見が分かれるところではあるが、減少していくお寺問題という観点から考えれば、この坊主バーは非常にうまい手であると言える。人々のニーズをくみ取り、現代にマッチした施策をとるという、ビジネス面から見て理に適っている。
これからの時代、この坊主バーのような場所はどんどん増えていくのだろう。病院、学校、果ては会社まで、お坊さんが在籍するようになることもあるかもしれない。そうなれば、社会生活への気負いがほんの少し楽になるかもしれない。