先日6月29日は『星の王子さまの日』。童話『星の王子さま』の作者、フランス人作家にして飛行士のサン=テグジュペリの誕生日に由来する。「大切なものは目に見えない」というフレーズで有名なこの物語は、「死」とは何かを鋭く見つめ、読者である我々に問いかけているように、筆者には思えてならない。
『星の王子さま』のあらすじ
『星の王子さま』を未読の方には申し訳ないが、物語の結末までを簡単に紹介してしまいたいと思う。
飛行機のトラブルによって『ぼく』はアフリカのサハラ砂漠に不時着し、そこで遠い小さな星からやってきた『王子さま』に出会う。共に過ごすうちに、『ぼく』は王子さまの故郷の星や、王子さまが地球に辿り着くまでのことについて多くのことを知っていく。
王子さまが地球に到着して1年目の日、王子さまの故郷の星が『ぼく』らの真上に昇る。王子さまは自分の星へ帰ろうと、『重くてとても持ってけない』身体を残し、毒ヘビに自分を噛ませて静かに倒れる。翌日、『ぼく』がその場を訪れてみると、王子さまの身体はどこにも見つからなかった。『ぼく』は夜空を見上げ、王子さまは故郷へ帰ることができたのだと考える。
『死ぬ』ということ――王子さまの最期とその反響
「ぼく、もう死んだようになるんだけどね、それ、ほんとじゃないんだ…」
ヘビに噛まれる前、王子さまはこんな言葉を『ぼく』に残す。王子さまにとって「自分の星に帰ること」は、ヘビに噛まれる、即ち死んでしまうことでしか果たせないようであるのだが、「ほんとじゃない」とは一体どういうことなのだろうか。
謎めいた王子さまの最期について、『星の王子さま』出版後から今に至るまで書籍やネットで様々な考察がなされてきた。この物語が訴えたいのは生命の本質は魂にあることだとか、いいや当時の社会情勢を風刺したものだとか、現在まで議論は尽きない。
答えのない問いかけもこの本の魅力の一つだろう。そして今後、作者のテグジュペリ自身が問いへの正解を教えてくれることも望めない。彼自身、第二次世界大戦中に敵軍偵察のため出撃後、地中海上空で行方をくらまし、そのまま帰らぬ人となったのだ。まるで音もなく倒れ、翌日には影も形もなくなってしまった王子さまのように、彼の遺体も見つかることはなかった。
祖母の死と 王子さまとの出会い
筆者が『星の王子さま』に出会ったのは小学校一年生の頃だ。その年に学校の教師をしていた祖母が亡くなり、好きなものを持って行っていいと言われたので彼女の残した本を物色していた。古くて少し黄ばんだこの本を読んだ後、小学生だった筆者は口も聞けなかった。身近な人の死に触れた後では、王子さまの帰郷はあまりにも衝撃的だったのだ。
うちのばあばも、きっと遠くの星へ帰っていったのだろう、そして王子さまのように、笑いながらこちらを見ているのかもしれない。当時ただただ怖くて悲しいだけのものだった「死」について、この本を読むことで少しずつ考えが変わってきたように思う。自分なりの答えはまだ出そうにないが、子供向けの童話に留めておくにはもったいないほどの「死」への問いかけが、この本には隠されていた。
目に見えないけれど、そこにあるもの
「大切なものは、目に見えない」
まるで作品の代名詞のように使われている王子さまのこの台詞。テグジュペリが言いたかった「大切なもの」とは一体何であったのか。生命だろうか、あるいは心であるのだろうか。子供の頃の筆者には分からなかったし、ある程度年齢を重ねた現在も、確信を持って「これだ」と断定できるような答えを用意することは出来ていない。
それでも仲の良かった祖母の死に際して、当時の筆者は王子さまとの出会いから「目には見えないけれど祖母は傍にいるのかもしれない」というように勇気づけられたと思う。
戦場の空に何度も出撃していったテグジュペリは、この本を書くにあたって「死」とどのように向き合っていたのだろう。ページをめくるたび、今でも思索は尽きない。
テグジュペリ生誕から今年で117年。『星の王子さま』はその切なくて美しい描写で人々を魅了し続けている。未読の方は、ぜひ一度手に取って頂きたい。もしかしたら、見上げた夜空が今までと違って見えるかもしれない。