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向田邦子さんの死生観を考えてみた

昭和のテレビドラマの人気を支えたひとり、放送作家の向田邦子さんが亡くなったのは昭和56年8月の航空機事故だった。享年52歳。直木賞作家でもある向田さんは、まだまだこれから活躍していかなければならない人だった。とても残念でならない。当時まだ幼かった私は、彼女の代表作である「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など、どこかで聞いたことはあるかなぁ、程度の知識しかなくそれ程関心もなかった。実は、向田邦子なる人物も、お恥ずかしながら最近知った有様だ。そんなわけで、今さらながら向田邦子さんの死を残念がっているという次第なのである。


向田邦子さんの死生観が語られているような気がした著書「父の詫び状」

彼女の著書に『父の詫び状』というエッセイがある。たまたまだったのかも知れないし、50歳という年齢がそうさせたのかも知れない。真実はわからないが、ここには日々の体験を通し、彼女の死生観が語られているような、そんな気がしてならない。

頑固一徹な昔気質の父親の死や、友人の死。病気や不慮の事故、自殺。そして知人の飛行機事故での衝撃的な死についても、ありきたりな日常の生活の中でさりげなく、死が描かれている。彼女は自らの死を予期していたのだろうか。この『父の詫び状』が出版されてからわずか3年で飛行機事故に巻き込まれてしまったのだ。


乳がんを患った向田邦子さん

その『父の詫び状』を書く3年ほど前に、彼女は乳癌を患い摘出手術を行っている。

『父の詫び状』のあとがきによると、大豆くらいの大きさのもので早期発見だったようだが、何しろ現在のように医療はまだまだ発達していないころの話しである。世間一般の知識も今に比べるとずいぶん低かったに違いない。彼女独特のひょうひょうとしてさりげないタッチによって、この乳癌を患っている頃のことを面白可笑しく描いてはいるが、本当はどれほどの恐怖を味わっていたのだろうか。

心臓の弱い老いた母親にはもちろん、同情されることで恐怖から逃れられなくなることを恐れ、誰にも話すことができなかったらしい。ひとりきりで死と向き合い、どんな思いで死を受け入れ、また逃れようとしたのだろうか。


ガンの中でも、特に女性にとって特別な意味をもたらす乳がんだが…

ところが、乳癌と死の恐怖については辛うじて描かれてはいるものの、手術がどういうものであったかはまったく述べられていない。乳癌の手術は女性にとっては、過酷な選択である。人によっては命よりも大切な問題なのである。今なら、先進医療のレーザーかなにかでちょいちょいと焼き切ってしまうようなやり方もあるが、当時はそんなSFに出てくるような機械もないし、技術もなかったから、やはり乳房を切り取ってしまうしかなかっただろう。

彼女がその部分についてまったく触れていないのは、それを読む女性たちの配慮からか、また自分がどうしても認めたくなかったからなのかは分からない。彼女にとっては死よりもそっちの方が辛かったのかも、というのは深読みし過ぎだろうか。


最期に…

さて、向田邦子さんは、死を予期していたのだろうか。でもこれは、あとになってから誰かが、亡くなったものの軌跡を辿る過程で思いつくことであって、当人が分かっていたとは言えないのである。病気で死期を宣言されない限り、(宣言されたとしても、それは決して確実ではない)我々はいつ死ぬのかは分からない。

向田さんが自らの死を連想させるような著書を、いいタイミングで書いたとしても、それは本人の意思ではないだろう。ただ、自分でも分からない何かが存在し、引きずられてしまうこともよもやあるかも知れない。感性を鋭く磨けば、いつかその予知能力をてに入れられる日がくるかもしれないが、それよりもまず、いつ何が起こってもいいように悔いのない時間を過ごすことが大切ではないだろうか。と、自分に言い聞かせている今日このごろである。
 


ライターT.nancy Twitter HP
向田邦子の手料理

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