先日、祖父の葬儀があった。斎場正面に祖父の遺影があり、周りには供花が飾られていた。唐突だがこの供花について、私は小学生の頃から、葬儀にとって本当に必要なのだろうかと疑問に思っていた。勿論、供花によって鮮やかになることは間違いない。しかし必ず必要というわけでもないだろうと考えていた。
宗教や形式、値段などによって供花も様々
ちなみに「供花」とは、葬儀に参列できない方が香典代りに葬儀場へ贈ったり、個人に対して弔意を示すために贈るというものだそうだ。
そしてその種類も様々だという。
例えば宗教によって花の種類が変わる。また、花をスタンドに備えるか、バスケットに入れて並べるかで値段も変わるとのことだ。仏教なら菊や百合の花が多く、神道も基本的には仏教と花の種類は変わらない。キリスト教は造花を好まない傾向があり、生花が基本であるなど、調べていてこんなにも違いがあるのだと感じた。
供花が持つ本来の意味は「お悔やみの気持ちを告げること」
私個人の話になるが葬儀は複雑な思いで参列していることが多い。前述の通り、参列した祖父の葬儀でのことだが、祖父が大病を患い、苦しい思いをしていた様子を知っていたため、苦しみから解放されて良かったという気持ちと、まだ亡くなってほしくなかったという気持ちの板挟みになり、なんとも言えない複雑な思いを感じていた。
これは私だけじゃないだろう。故人との最後の対面で今までの思い出や記憶が蘇ってきて、お別れをする。やっぱり、葬儀は悲しいだけのものだ。なんで亡くなったのだと故人に対して思ってしまう。
そんな時、ふと目をあげると斎場正面に飾られている祖父の笑顔が目に入ってきた。私たち家族、祖父の友人、知人から送られた花に囲まれて、とても素晴らしい表情をしていた。花の数はそう多くはない。むしろ、平均より少ない。だが、しかし祖父の笑顔は鮮やかに輝いている。
供花を送ること以上に重要なのは「故人への感謝」
供花とは葬儀に参列できない人が送るものでもある。たとえ、最後の瞬間に立ち会うことができなくても、遠くから故人を偲ぶことはできる。その想いを表してくれるのが供花なのだと思った。
大切なことは供花の数ではなく、参列者の数でもない。故人に対して今までありがとう、これからは見守っていてねという気持ちが大切なのだと感じた。花に囲まれた祖父の笑顔は眩しく、輝いていた。