日本も含め、東アジアで行われる火葬、特に近代になる前に行われた火葬は、仏教信仰に由来すると一般的にいわれている。
しかし、これまた日本も含めてであるが、東アジア諸地域で古くから行われた火葬は、実は必ずしも仏教と関係があるとはいえないのである。また、今回は割愛するが、仏教を深く信仰した人物が、火葬を否定的に捉えていたケースも、実は少なくない。
釈迦が火葬されたことが仏教式火葬の始まり
そもそも仏教信仰に基づく火葬は、古代のインドに始まるとされる。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が亡くなった際、彼の遺体が火葬されたことが「仏教式火葬」の始めとされる。
そして、その「仏教式火葬」を、インドから中国に伝えたのは、唐王朝初期の僧侶でインドに渡った、『西遊記』の三蔵法師のモデルである玄奘だとされている。ただ、そもそも釈迦が火葬されたことも、歴史的に見れば、当時のインドで一般的であった習慣に従ったに過ぎないのではないか、という説もある。
仏教を中国に伝えたとされている玄奘は、彼自身が火葬されていなかった
また、「玄奘が中国に火葬のしきたりを伝えた」という話も、実際には余り正確とは言い難い点がある。玄奘は唐に帰国後、インドへの道中やインドでの見聞を記録した『大唐西域記』を書き、時の皇帝に提出した。
その中で、彼は火葬を意味する「荼毘」の語源となった言葉を紹介し、遺体を焼くことである、というような説明を付けている。このことが、「玄奘が火葬のしきたりを中国に伝えた」という説の、根拠とされているようだ。
しかし、玄奘が664年に亡くなった際には、彼は火葬されなかったし、そもそも火葬を希望すらしていなかった。このことを考えても、玄奘が『大唐西域記』に、「亡くなった人を焼くしきたり」について書いたことが、即「インドから“仏教式火葬”を伝えた」ということでは、ないようである。つまり、「玄奘が火葬を中国に伝えた」というのは、あくまで一種の「神話」であると考えた方が、良さそうである。
日本で初めて仏教式火葬された道昭ではあるが…
ところで、日本で初めて「仏教式火葬」をされた人物としては、飛鳥時代末期の僧侶の道昭が有名である。彼は唐に渡り、インドから帰国した玄奘の弟子となった経験がある。そうした道昭の経歴から、彼が火葬を望み叶えられたのは、師の玄奘から、インドの仏教式火葬について教えられたからではないか、とする説が生まれた。
だが、先に述べたことから推定すると、玄奘は特に火葬に思い入れがなかったと考えられる。従って、彼が道昭にインドの火葬について熱く語るような状況も、余り考えられない。道昭が死後火葬されたのは、ほぼ確実らしいが、彼が火葬された理由が、「インドから火葬を伝えた師の玄奘にあやかるため」というのも、結局「神話」に過ぎないようだ。
最後に…
実際、道昭よりも大幅に過去の時代に、日本列島で火葬された人々がいたことがわかっている。古くは何と縄文〜弥生時代の遺跡からも、火で焼かれた痕跡のある人骨が出土している。こうした、「火葬された」縄文〜弥生時代の人骨は、北海道や南西諸島など、前近代では「異国」であった地域からも出土している。これを考えると、「道昭が火葬されたのは、仏教信仰に由来する」という説も、あくまで「そういう説もある」という理解が、適切そうだ。
参考文献:天皇と葬儀 日本人の死生観、 民衆生活の日本史・火