洋の東西を問わず、墓地がどんな区域に設けられるかには、大別すると2種類ある。人々が日常生活を送る、いわゆる居住区域の中に設けられる場合と、もう一つ、居住区域とは明確に区別され、且つ一定の距離が取られている区域に設けられる場合である。
この2種類のうち、後者の「居住区域とは明確に区別された」区域に、墓地が設けられるケースを、特に「ネクロポリス」という。
ネクロポリスとは「死者の街」を意味する
ネクロポリスとは、ギリシャ語で「死者の街」を意味する言葉である。この言葉が、ギリシャ語に由来する理由は、一つにはそもそもこのネクロポリス式墓地が、古代ギリシャで盛んに作られたからである。
世界大百科事典第2版によれば、古代ギリシャや、ローマ帝国などその文化的影響を受けた地域では、こうしたネクロポリスは、都市を取り囲む城壁の外部、特に街道沿いに作られたという。
こうしたネクロポリス式の墓地は、実は日本にもある。特に近世以降の近畿地方の村落部で、盛んであった「両墓制(遺体(遺骨)を埋葬する墓と、墓参り用の遺体のない墓を作るしきたり)」では、このネクロポリス式墓地が多く作られた。埋葬用の墓・墓参り用の墓共に、村と村外の境界に当たる区域に作られたケースが多い。
ネクロポリスは、世界の様々な地域で確認されている
ネクロポリスといえば、古代ギリシャ時代よりも更に古い、古代エジプトに遡るともいわれる。世界史、特に古代文明史にある程度詳しい方の中には、古代エジプトでは、太陽が沈むナイル川西岸は「死者の街」とされ、ピラミッドなど貴人の墓が作られたのに対し、太陽が昇る東岸は「生者の街」であった、という説を聞いたことのある方もいるだろう。
しかし近年では、この説は必ずしも正しくないのではないか、とも指摘されている。但し、ピラミッドが廃れた後も、王を始めとする貴人の墓が集中して作られた、ネクロポリスといえるような地区は、実際ナイル川西岸に多い。
こうして見ていくと、日本も含めて世界の様々な地域のネクロポリス式の墓地は、多くが古代〜近世のような、「前近代」に当たる時代に作られたケースが多い。これはなぜかについても、色々と興味深い点は多い。
世界最大級の地下墓地カタコンベもネクロポリスの一種
ただ、フランスのパリには、むしろ近代に入る前後の時期に作られた、ネクロポリス式の墓地がある。それは、カタコンベと呼ばれる巨大な地下墓地である。
このパリのカタコンベに葬られた遺体・遺骨は、中世〜ルネサンス・バロック時代の死者であり、本来パリの中心にあったサン・ジノサン墓地に葬られていた。フランス革命の始まる前年の1788年、サン・ジノサン墓地は廃止され、埋葬されていた遺体(遺骨)は、当時郊外であった区域に設けられた地下墓地に改葬された。
なお、サン・ジノサン墓地が廃止された理由は、何百年にも渡って一つの区域に大量の遺体を土葬し続けたことが原因とされる、人体の腐敗による有毒ガス発生のためであったという。こうしたことも、日本も含めて、少なくとも近代以降には宗教的に火葬を余りタブーとしない傾向がある文化圏で、近現代に火葬が積極的に採用されるようになった理由の一つであろう。
参考文献:「死の舞踏」への旅 踊る骸骨たちをたずねて、 ピラミッド・タウンを発掘する、 番と衆 日本社会の東と西