安土桃山時代、日本を訪れた西洋人による記録は残っているが、同時代の日本人による記録がない、「当時の日本人の習俗」は、幾つかある。この種の「当時の日本人の習俗」については、大きく分けて3つの可能性が挙げられる。
3つの可能性とは?
(1)「当時の日本人」にとっては、「常識」であり「ごくごく普通のこと」であった。そのため、わざわざ記録するようなことではなかったので、記録が残されなかった。
(2)異なる文化圏出身の記録者が勘違いをしてしまい、結果として、実像とは異なる「当時の日本人の習俗」を記録してしまった。
(3)記録者が、読者として想定される母国の人々を面白がらせるため、現代風にいえば「単なるネタ」として書いた。
これらの3つの可能性は、戦国時代末期〜江戸時代初期の、特に西日本の一部の大名の葬儀についての、ルイス・フロイスやリチャード・コックスといった来日西洋人の記録にも該当する。その記録に、「亡くなった藩主が火葬される場合、特に彼と近い関係の家臣や友人が、自分の指を切って火葬の火に投げ込む」というくだりが出てくる。
このような上流武家の社会での、主君への殉死の記録は多くの場合、同時代の日本人によっても書かれている。しかし、こうした「指先を切り落として火葬の火に投げ込む」というしきたりについては、全くと言ってよいほど、同時代の日本人による記録がないのであった。
そこで、先程の3つの可能性は、この「指先切り落とし」に当てはまるのか、という問い直しが必要になる。
(2)と(3)の可能性は否定できない
まず(1)のケースが当てはまるかというと、甚だ怪しい。なぜなら、「一部の地域の藩主と、彼とより近い関係の家来や友人」という、あくまで「当時の日本人」のうちの極めて少数の人々にとっての「常識」であったからである。
また火葬も、当時は基本的に相当な高位の人々向けの葬法であり、大名家であっても、火葬率と土葬率が約半分ずつ程度であった。そうしたことから考えても、「ごくごく普通のこと」のカテゴリーには、入らないであろう。
一方、(2)や(3)の可能性はどうだろうか。結論からいうと、これらの可能性はあり得る。特に(2)の、「異なる文化圏出身者であった記録者の、うっかり誤解」の可能性は、筆者もあると思う。
似た習俗が存在した…
実際、戦前に民俗学者柳田国男が記録した、日本各地の様々な葬儀習俗の中に、もしかしたら、この「指先切り落とし」の現代版ではないかと思われる習俗が、幾つかある。
例えば、現在の宮崎県や愛媛県などの一部にあった習俗が、その一つである。こうした地域には、遺体を納棺する際に、死者の持ち物(多くはいわゆる六文銭や米などであった)を入れた袋を、遺体の首に掛けるしきたりがあった。そしてその袋の中には、死者の持ち物だけでなく、近親者などが自分の爪を切って入れるのが習わしだったという。
フロイスやコックスの報告した、西日本の幾つかの大名家の葬儀で行われたとされる「指先切り落とし」と、共通点が少なくない事例である。彼らが報告した「指先切り落とし」のしきたりも、もしかしたら実際にはこのようなものであったかも知れないが、結局事実は謎のままである。
参考文献:ヨーロッパ文化と日本文化、 葬送習俗事典 葬儀の民俗学手帳