戦前から戦時中に旧陸海軍の拠点があった地域を始め、日本各地には旧陸海軍の管轄下にあった墓地が残っている。こうした旧日本軍墓地には、出征先での病死なども含む戦死した軍人やその他軍関係者が埋葬された。
また、軍の墓地に埋葬されたのは、戦いの際に亡くなった戦闘員や軍関係者だけではない。徴兵されて兵士になった人々で、兵役期間中に戦闘以外の原因で亡くなった人物も、そこに埋葬されることが多かった。
大阪にある旧真田山陸軍墓地にも捕虜だった外国人兵士が埋葬されている
そして実は、捕虜となった外国の兵士・軍関係者で日本軍に捕らえられている間に亡くなった人々も、しばしば日本の兵士や軍関係者らに混じって旧日本軍墓地に埋葬された。こうしたケースは、特に第1次世界大戦の頃までに多い。
例えば、大阪市天王寺区にある旧真田山陸軍墓地には、日清戦争の際に捕虜になり、解放される前に亡くなった清の兵士や軍関係者も埋葬されている。また、第1次世界大戦で日本軍の捕虜になり亡くなったドイツの兵士の中にも、この真田山の墓地に埋葬された人物がいる。
このような、捕虜になって解放前に亡くなった外国の兵士や軍関係者が、旧日本軍墓地に埋葬されているケースは時々ある。真田山の他にも、名古屋や金沢、その他の地域の軍の墓地に、そうした捕虜になった外国人が埋葬されている例がある。
外国人兵士のための墓地も存在する
また、特に捕虜になった外国の兵士・軍関係者のための墓地もある。例えば、愛媛県松山市にある「ロシア人墓地」や、横浜市保土ケ谷区にある、太平洋戦争時のイギリス領の捕虜を埋葬した「英連邦戦死者墓地」などである。
松山市の「ロシア人墓地」については、少し補足が必要である。ここは、日露戦争時のロシアの捕虜を埋葬した墓地である。ただ、恐らく第1次大戦時のドイツの捕虜や、太平洋戦争時のと推定されるアメリカの捕虜もそれぞれ1人ずつ埋葬されていることも、忘れないようにしたい。
なお、これらの外国人捕虜を埋葬した墓地の墓石の中には、彼らが捕虜として亡くなったことを強調するような文字を削り、セメントで埋めた痕跡が残るものもある。例えば、先述した真田山の清国の捕虜の墓がそうである。この措置が、いつ頃行われたかはよくわからない。ただ、現代的な人権意識のための措置なのかどうかは、安易に断言すべきではない。