「エチュード 第3番 ホ長調 Op. 10- 3」――何のことかお分かりになるだろうか?
音楽に関心のある方ならご存知かもしれないだろうが、ポーランドの作曲家、フレデリック・ショパンの「別れの曲」の正式名称である。
筆者は子供の頃ピアノを習っており、この曲を演奏したことはないのだが、この曲には個人的な思い出がある。
実力云々以前に、心に余裕がなかった祖父のためのピアノ演奏
「お前『別れの曲』とか弾けたりする?」祖父が亡くなる少し前、筆者が父に訪ねられた言葉だ。
病気で入院していた祖父の病状は思わしくなく、看病をしていた父は「もう長くないだろう」ということを医師から言われていたようである。
その祖父は大分頑固な性格の持ち主だった。筆者も多分にその性格を受け継いでいる。その頑固な祖父は、自分の葬儀に「お坊さんを呼ぶな」と強く言っていたようだ。
筆者は、祖父が自分の葬儀にお坊さんが来ることを嫌がっていた理由を今でも知らないが、そんな本人の希望もあり、結局祖父の葬儀にお坊さんは呼ばなかった。代わりに音楽葬で祖父のことを見送った。
つまり、筆者の父の言葉とは「お前、おじいちゃんの葬式で何かピアノ弾けるか?」ということだった。
これを尋ねられたタイミングで、既に別れの曲なり、何か人前で演奏出来る実力があれば、もしかしたら受けていた可能性があることも否定出来ない。おじいちゃんのためにピアノを弾きたい、という気持ちも当然あった。だが当時、別れの曲であれ他に何か替わりに弾けるようなレパートリーも持っていなかった。そして結局、筆者は父のこの申し出は断った。
実力もそうだが、そもそも「おじいちゃんのお葬式のために練習する」ということは当時の筆者にはできかねた。
プロの演奏家を呼ぶことも可能な音楽葬
「別れの曲」「音楽葬」と聞くと筆者の頭にはこのエピソードが思い浮かぶ。
それは「弾いてあげられなかった」という後悔といった類の気持ちではない。そんなこともあったな、と懐かしむこともあるぐらいだ。
これがもし今だったら、筆者は「祖父の音楽葬のために」準備をすることが出来るのだろうか。なんとなく、当時よりも「おじいちゃんのために弾いてあげたい」という思いに駆られて、気持ちを切り替えつつ準備が出来るような気はする。
もっとも技術の面で、毎日一生懸命練習をしていた当時の自分にはとてもとても敵わないのではあるが。
もしも音楽葬を検討している方は、プロの演奏家を呼ぶことも一つの選択肢であることをお伝えしておきたい。