生前の父は葬儀も墓もいらないと言っていたらしいのだが、実際には父の没後に葬儀をし墓も購入し納骨した。
故人は墓の下にはおらず千の風になるという説もあるくらいなので、私はどちらでも良かった。
ただ、葬儀も墓も故人の為というよりは遺された人間の為の物と考えていたので、自身の人生設計よりもかなり早く夫を亡くしてしまった母の希望を叶えたかった。
バリエーション豊富な現代のお墓
葬儀を終えた後、休日に家族で霊園と墓の見学に出掛けた。
某有名な仏壇屋チェーンの支店長に連れられて近隣の霊園を数件見て回り、既存の墓を例に石や形や装飾のバリエーションと料金の相場を説明された。
最近の墓は本当に様々で、漢字や単語が彫られていたり、ペンキで部分的に色を付けられていたり、既存のキャラクターを模した石像が脇に佇んでいたりと、「お化け屋敷みたいなお墓は怖いから嫌」という母の希望に叶いそうな墓がたくさんあった。
しかし、様々な墓を見れば見る程、私の中では「どれでもいい」という気持ちが高まるばかりだった。決して興味がないのではなく、あまりにも多くの選択肢を見せられると判断がどんどん難しくなり挙句は思考が停止してしまうのだ。
それでも家族で少しずつ希望を出して相談しながら選択肢を絞り、石と形と表面のデザインを決めて、いよいよ墓が完成した。
父を思い起こさせるフォルムのお墓
それは非常に個性的な、お化け屋敷には絶対にない墓となった。
何より特徴的なのはそのフォルムで、横長で足元から30センチ程度の高さで斜めに横たわっており、手前の側面が丸く突き出している。その大きく突き出した丸いフォルムは、まるで元気だった頃の父のでっぷりとした腹のようだった。
あの時一同が真剣に考えて作った墓は、誰かが「お父さんのお腹みたいな形にしよう」と言ったわけではないのだが今ではそのようにしか見えず、あの時は家族全員が父に取り憑かれていたのではないだろうかとも思えて来るのだ。
墓はいらないと言ったのに作ろうとしている家族に父は、どうせ作るのなら自分らしくしろという呪いをかけたのだろうか。
しかし家族は全員その墓の出来に満足しており、今でも月に一度のペースで墓参りをしている。
お墓自体に故人が宿る?
ある日の墓参りの際、霊園の洗い場に置かれていたタワシで墓石をゴシゴシとやっていたら、母に「お父さんが痛いでしょ」と言われ、真冬に水を掛けた時には「お父さんが寒いからそんなに掛けなくていいわよ」と言われた。
故人は墓の下にはおらず、千の風になるわけでもなく、墓石になることもあるのかもしれない。
父の腹にそっくりな丸く突き出した墓石をタオルで磨く度に私はそう考えている。