学生時代からの友人S子から「お別れの会」の案内状を受け取ったのは、今年の例年になく短い残暑のときであった。
それはよく読むと「彼女の母上」とのお別れであった。
彼女の母上は確かまだご存命のはずだったと記憶していたが、案内状の文面からは母上の消息についての詳細が掴めなかった。
ただ案内状には「関係者の皆様宛の挨拶」らしきものが書き込まれていた。
既に母親との生前葬儀を済ませた友人
しかし、丁寧ではあるが一読して、これは一種の絶縁宣言であることはすぐに理解できた。ただごとではない。母一人子一人の家庭になにがあったのだろうか。直接S子へ電話をかけて事情を聞くことになった。
S子は堰を切ったように切実な内情を話してくれた。長年介護を続けてきた話。それが一年ほど前にようやく、重い認知症の母上を特別養護老人ホームへ入居させることができようだ。都心から電車で約2時間前余りのところだ。昨今の事情を考えるとぜいたくは言えない。
「もう母の葬式は終わったの。私自身にとってはね。老人ホーム入居のために、母を連れた長い電車の旅で最後の会話をしたのね。これがわたしにとって母の葬儀だったの。」
どうしても会いたいという親戚・知人友人のために開くことになったお別れ会
入居後、ほっとしたのも束の間、実家の整理にも取りかかればならなかった。
ところが噂を聞き付けた実家の近所の方々や葬式以外はほとんど顔を見たことがないような親戚から、母上の消息を尋ねる電話がしきりとかかって来るようになったのだ。
中にはS子のことを親不孝者となじる者もいた。結局どうしても会いたいと言う親戚を老人ホームまでまとめて案内して宴席まで設けた。
決して他人事ではない…
これらのことが今回の「お別れの会」につながったのは想像に難くない。
一般的に言って、会社員として働きざかりのころは仕事が忙しいことも理由に、負担になるような人間関係はそれほど広がらないものだ。
これが定年、子供の結婚、加えて親の介護が始まるあたりから急激に人間関係が複雑かつ多岐に広がる。油断をするとプライベート生活を侵食し始める。
決して多くはない残りの人生を全うする妨げになる。速やかに断ち切るための手立てを高じるべきだ。今回のS子がおこなったようなお別れの会もひとつの解決法だろう。しかしながら市民権が得られてはいないのが非常に残念である。