後悔先立たずとはよく言われる言葉だが、そうした出来事は胸に細くて長い刺を打ち込まれたように、消えない傷となって残るものだ。
ごく最近、そうした出来事が起きた。
転機となった本社異動の計らい
私が専門学校を卒業して就職したのは、地元の書店だった。本が大好きだったので、私なりに頑張って働いていたのだが、実家から通えるところだったため、自立には程遠かった。事情で独立を夢見ていた私は、いつかはと願っていた。転機となったのは、本社の事務に異動になったことだった。私の願いを知った会社が取り計らってくれたのだ。
店長が本社とどういう話をしたのか詳しくは今も知らないが、独立のために事務に転職したいなら、東京の本社の事務員にならないかとのお誘いを会社からいただいたのだ。寮扱いで部屋を借りてあげようと、なんともありがたい申し出付きで。一も二もなくその話に飛びついたのは言うまでもない。
そうして始まった一人暮らしは、仕事もプライベートもとても充実したものだった。うっかり見てはならない夢を見るまでは。
俳優を夢見て会社を退職
友人に誘われて入ったのは俳優養成所だった。生まれつき足に若干の障害を持っていたことを自覚していたならば、芸能人になどなれるはずもないとわかっていただろう。しかし中学で演劇部に入っていたこともあって、その夢にのめりこんでしまったのだ。そしてその夢を追うために会社に退職を申し出た。
会社は私のとんでもないわがままさえも認めて送り出してくれた。最終出勤日のことは今でも覚えている。社長はその日、用があって出かけていたのだが、マネージャーから私の最後の日だという連絡をもらって、急いで帰ってきてくれたのだ。花束と、餞別のオルゴール人形を抱えて。そして頑張って夢をかなえろとおっしゃってくださった。
その夢は当然ながらかなわず、わずか半年で別の会社に就職してしまったのだが、あのとき先のない夢を追っていなかったら、今の私はどうなっていただろう。あれから20年以上がたち、私の環境もずいぶんと変わった。
亡くなった恩人
5年ほど前、ひょんなことから詩集の自費出版の機会に恵まれ、3年の月日をかけ無事に発行にこぎつけた。そのとき思ったのは、夢を応援してくれた社長に本を送ることだった。女優になる夢はかなわなかったが、これもまた1つの夢の結実だったからだ。けれど20年という歳月が私をためらわせた。ほんの数年在籍しただけの社員のことなど覚えているだろうか。
ネットで調べてわかったのは、今は書店チェーンからは手を引いて、別の仕事をしているということだった。社長は会長になっておられて、名字から察するに、息子さんか親族の誰かが跡目をついで社長になっていらした。規模もそれなりに大きくなっているようで、余計に気が引けてしまい、本を送ることができなくなってしまった。
そしてつい先日のことだ。思い出したように会社のことを調べた私に飛び込んできたのは、会長の訃報だった。私はなぜ本を送っておかなかったのだろう。たとえ私を覚えていなくても、きっとあの人なら、昔の社員が1つの夢を果たしたのだと喜んでくれただろうに。応援してくれた時のような笑顔を浮かべて。
後悔先に立たず
ホームページの記事によれば、6月の末に享年78歳で心不全で亡くなったらしい。中小企業とはいえ、会長職にある人が亡くなったのなら、普通ならば社葬にでもするところだろう。けれど葬儀はお身内や近親者のみの家族葬のような形式で済ませ、社外の人に対しては7月の中旬に送る会を行うとなっていた。
その際、香典の類は固辞すると記載されていた。それがなんだか記憶にあるアットホームな雰囲気を思い起こさせ、余計に切ない気持ちになった。
優しい会社だった。社会人としての私の基礎を作ってくれた会社だった。それなりに忙しくはあったが、亡き会長を含め暖かな人に包まれていた会社だった。
せめて送る会の前に訃報を知っていたなら参列することもできたものを。実際に読んでもらうことはかなわなくても、最後の最後に報告とお礼を告げることができたはずだ。きっとあの会社ならば参列を拒否したりしなかっただろう。報告とともに思い出話の一つでもしたかった。
悔いは尽きない。この胸に刺さった刺はきっと一生抜けない。形見となってしまったオルゴール人形の音色を聴きながらそう思った。