「いいお葬式だったね」「あの葬儀社はちょっとよくなかったね」
喪主や遺族として葬儀を執り行った際、葬儀が無事に済み、ほっと一息ついたようなタイミングでこうした話題が会話にのぼったことはあるだろうか。
葬儀後でしか行うことができない葬儀社への評価
のぼったことはあるだろうか、と問いを投げてはみたが、筆者自身は親戚の葬儀に参列した経験こそあれど、葬儀を執り行った経験はない。
その上、親戚の葬儀に参列したというのも大分昔の記憶であるように思う。そんな筆者には「あの葬儀社さんはいい葬儀社さん」「こういう葬儀社はだめ」などと語れるだけの知識も経験もないということを、まずはじめに白状させて欲しい。
どういった葬儀社が良くて、どういった葬儀社が悪いのかすらもわかっていないというのに、なぜこの話題を選んだのか。それは、祖父の葬儀後の両親や叔父叔母の会話をうっすらと覚えていたからだ。
どうやら筆者の両親や叔父叔母は、そのときの祖父の葬儀を執り行ってくれた葬儀社の対応にあまり満足していなかったようだった。幼かった筆者は、さすがに両親や叔父叔母が何に納得していなかったのか理解することは出来なかった。今であれば、もしかしたらそうした不満に少しは寄り添えたのかもしれないが。
「いいお葬式だった」と心から思えるかどうかが重要
こうした経験をお持ちの方は他にもいらっしゃるのだろうか?
どれくらいの人が葬儀後に「いいお葬式だった」と思えているのだろうか。
出来ることならば、葬儀後に「なんかちょっと…」と嫌な思いをする人がいないことが望ましい。最後のお別れを望み通りに出来なかったとなると、悔やんでも悔やみきれないからだ。
しかし、「葬儀を行う」という事態は、そのほとんどが急遽決まることではないだろうか。まして、身内を亡くした悲しさや辛さで冷静な判断をするのは難しい状況であると思う。それでも葬儀の段取りは決めなければならない。想像してみただけでもその心労は計り知れない。
亡くなる前後ではなく、冷静な判断ができる内に調べましょう
こうした心労を少しでも和らげ、より多くの人が葬儀後に後悔しない方法――それは、いざ葬儀を行うことになる前に、平常心でいられるときに葬儀屋について調べてみるということではないだろうか。
何事もないときに葬儀、葬儀社について考えることはあまりないかもしれないが、そういう何もないときこそ冷静な判断が出来る機会であると思うからだ。
そうしたときであれば、時間に追われることもなくゆっくりと色々な会社を比較することも出来るはずだ。
筆者のこの文章に目を留めて頂けたのも何かの縁かもしれない。そう思って、話のタネにでも葬儀社について調べてみるきっかけにして頂けたら嬉しい限りである。