私の好きなラジオパーソナリティーが、10年以上前に亡くした母親の遺品整理で捨ててしまって後悔しているものがあると話していた。
それが何なのか具体的には語られなかったが、それでも捨てられなかった遺品が押入れの段ボール箱の中で今も眠らせてあり、時々眺めては少しずつ物を減らしまた押入れの中に戻すのだという。
当時は残すと判断した父の手帳だが、今となっては後悔
こういう話を聞いていると自然と自分の場合はどうだろうと考えてしまうものだが、私は父の遺品整理で捨ててしまって後悔した物というのが何も思い浮かばなかった。
逆に、捨てておけば良かったと後悔している父の遺品が私の部屋の押入れの中で段ボール一箱分眠っている。
中身は父の約20年分のバインダー式手帳の用紙だ。
私はそれまで父が手帳を使っていたことすら知らなかったのだが、新しい年を迎える度にバインダーの中の用紙を変えては終わった年の分を取っておいたようで、昔から実家の居間にあった本棚の開けたことのない引き出しの中から大量に発見されたのだった。
実家とは、見慣れているはずの収納具なのに中身を知らないというブラックボックスがたくさんある場所である。恐らく父本人も存在を忘れていたのではなかろうか。
亡くなった直後は感傷的になりやすい
ざっと目を通してもそこにはごく一般的な中年男性のスケジュールが書き込まれているだけで、実は愛人がいたとか隠し子がいたとか隠し口座があるとか、興味深い内容は一切見当たらなかった。
しかし、小学生だった頃の私の授業参観に出る、という予定をウッカリ見つけてしまったのがいけなかった。言うまでもなく遺品整理をしている時というのはおセンチになりがちな時期で、亡くしたのが親だった場合は苦労して育ててもらったのに大した親孝行も出来なかったという後悔にも陥りがちである。
そこへ駄目押しのように、私の学費を振り込む期日というものが書き込まれていたのまで見つけてしまい、おセンチだった私の心に学費という言葉は授業参観よりも強烈なパンチを食らわせたのだった。
その時は捨てられず、でも実用性がないならば、取り出しやすい場所に保管すること
結果、私はその手帳の用紙を段ボール箱に詰め、押入れに入れ、その後片付けをしていたらその上に来客用の布団を積むという構造になってしまった。
あれを捨てたいと思っても布団を退かさないと取り出せない、来客用だから滅多に退かすことはない、来客があった日は疲れているので遺品整理の続きなんかしたくない…そんな事情で今でもその段ボールは私の部屋の押入れに鎮座している。日々の生活に支障はないが、あのスペースに別の物を置けるかもしれないと思うと時々悔しくなるのだ。
以上のことを踏まえると遺品整理において大事なこととは、その時は捨てられないけど実用性はないと思われる物はいつでも取り出せる場所に保管する、ということだろうか。
しかし仮に今あの箱を取り出したとして、私は本当に捨てることが出来るのかどうか若干の疑問が残る。
おセンチ期を過ぎた今でも、案外また押入れの中に戻してしまうのかもしれない。