一年ほど前中学高校時代からの友人が、いわゆる「生前葬」をおこなった。
近所のお寺で、経をあげてもらった後、近くのホテルでご夫婦を含め十人程の規模で思い出を語り合った。
友人は終始機嫌がよく、健啖ぶりも相変わらずだった。
本格的に行う生前葬は相当な準備が必要
生前葬といっても話題集めにやるものとは異なって、本気になって各種の手続きを済ませようとすると、大変だ。
いまの奥さんとはお子さんはいないので残されることになる(?)奥様が面倒なことにならないようにいろいろと気遣いが必要だ。
遺言執行人を決め、遺体の始末から、納骨まで手続きを、あらかたやり遂げたようだ。相続についても、前妻の子供たちへは生前贈与で決着をつけたらしい。
生前葬に参加していた若い方々と友人の関係
当日の出席者は私ともうひとりの知人を除くと比較的若い方の姿が目立っていた。
わたしは、ここ数年、多忙をきわめ、彼とは年賀状だけのやりとりだけだったので、最近の彼がなにをライフワークとしてどのような活動をして過ごしていたかは知る由もなかった。そのため、彼が地方の劇団のために台本を書いていたことを知ったときはびっくりした。もっと言うとうらやましかった。
出席者のうちで年齢が若い方々は、その劇団の団員の皆さんだったのだ。結果的に彼の「遺作」となった劇の台本も参加者へ配布された。内容は、よく言えば70年安保前後の若者の青春群像で、青い感じもしたが当時のことが思い出されて非常に懐かしかった。
「いやあ、おはずかしい。劇の台本は、いまの人に通じない言葉ばかりで迷惑をかけっぱなしだ」と彼は照れてみせた。
「そんなことはありませんよ」と劇団の幹部らしき男性が盛んに友人を持ち上げた。
是非、生前葬を行うことをおすすめしたい
聞けば、脚本を書き始めたのはここ2、3年だそうだ。
私を含めみなさんも自分が何をやりたかったのかあるいはなし得なかったのか自問自答されると良い。
そして出来ることならば、自分が元気なうちに生前葬を企画してみてはどうだろうか。逆転の発想ではあるが、生前葬を行うことで、本当にやりたいことが実現するかもしれない。
なお、この生存葬がおこなわれてから約3か月後に奥様から、彼の死を知らされた。末期がんだった。
生存葬では、その気配すらわたしたちは感じ取ることはできなかった。見事というしかない。