私が父の遺品整理で最も骨を折ったものが、ビデオテープである。
実家には父が長年に渡って溜めたビデオテープが100本以上あり、内容はテレビで放映された映画、ドラマ、音楽番組、スポーツ中継などの録画が多く、中には私達が子供の頃の運動会や発表会を父が撮影したものもあった。
父といえばビデオ ビデオといえば父
しかし完全に父の趣味だったとはいえ家族にとっては一緒に観た思い出の番組もあったり、何よりも私達にとって父の存在とビデオというものが深く結びついていた。
父といえばビデオだったと言ってもいい程だったのである。
葬儀も済ませ一息ついた頃、私はおびただしい数のビデオテープを一本一本再生し、取っておきたいものはDVDにダビングしてから捨て、いらないものはそのまま捨てるという作業を開始した。
半数以上はそのまま処分したと思うが、それでもかなりの枚数のDVDを消費した。途中から、こんな大量のDVDを残しても観ることはないだろうとも思えて来た。
ドラクエプレイ動画を発見
そんな折に発見したのが、ラベルに「DRAGON QUEST Ⅱ」と書かれたビデオテープである。我が家にかの有名なドラクエというゲームを最初に持ち込んだのは父だった。
それはラスボスを倒してクリアした時のプレイとエンディングの映像を録画したものだった。しかも私は父が最初にクリアした時に横で観ていた記憶があり、その時は録画などしていなかったはずなので、それは一度クリアした後でわざわざ録画保存用に再度プレイしたものだった。
私もドラクエが好きだったので、単純に懐かしいという理由から再生機に入れた。一度観たら捨てるつもりだった。再生してみると懐かしいファミコン時代のドラクエ画面が現れた。勇者の名前は父の実名だった。
ラズボスの城の近くの教会を出発し、周辺の敵にいきなり殺され、教会にとんぼ返りして生き返らせ、次から同じ敵が現れた時は「にげる」を選択するようになった。ラスボスまでMPを出来るだけ消費したくなくて、途中で敵に遭遇した時のHP回復は「やくそう」を使っていた。ついに始まったラスボス戦ではコマンド入力に時間がかかるようになった。次にどんな戦略に出るべきか考える必要があるからだ。一連のプレイ映像を眺めながら、私は何とも表現し難い不思議な感覚に捕われていった。コマンド入力の際には三角形のアイコンが点滅する、それがまるで当時の父の息遣いのように感じられて来たのだ。
これはドラクエをプレイした経験のある人間にしか伝わらない感覚かもしれない。しかしこの複雑なゲームはプレイヤーの性格を反映することもあり、戦略を考えている間のあの三角形のアイコンの点滅が妙に生々しく感じられたのだ。
エンディングまで見届け、私はそのビデオをDVDにダビングしてしまった。その後発見したドラクエⅢとⅣのビデオも同様にした。あれから5年経って、まだ一度も観ていないのだが。
最期に…
一昔前、ゲームで生き物の死が軽々しく扱われると実生活でもそうなってしまうのでは、という懸念がメディアで囁かれた。
私はそれを見聞きする度に、そんなわけはない、と一笑に付した。今でもその考え方は変わらない。ゲームの中の死と現実の死が結びつくことは殆どない。
しかし生は結びついているのかもしれない。58年で終わった父の人生の中のほんの少しの生を、あのアイコンの点滅から私は確かに感じたのだった。