もう十年以上も前になるだろうか、長年師事をしていた元大学教授の先生が亡くなった。
新聞の報道によれば先生は自宅のマンションで独り住まいをされていたそうで、自炊の際に誤って大火傷を負ったことが亡くなった原因とのことだった。
独り身ならば、だれもが可能性のある孤独死
私はなによりも、あのような社会的地位もある方が高齢で独り住まいだったこと、そして自炊をしなければならなかったことを、当時かなりショックを受けたことを今でも鮮明に記憶している。
あれから1人っ子である私の両親はすでに亡くなり、数少ない親戚も遠方でここ20年近く音信がない。いつのまにか自分自身がその境遇になっていることに気がついて愕然としている今日この頃である。
それでもなんとか生きて行かねばならないのが人生である。それにしても、私が孤独死となり、自宅の一室に放置された私の遺体を発見された方々へのご迷惑へつい思いを馳せてしまう。
また、「自分が死んだら、あとは知るものか。野となり山となれだよ」という考え方であった者も齢をとり、死を意識し始めるとそうはいかなくなるであろう。もちろん本コラムの読者のみなさんは自分の最期のけじめについてお考えをお持ちに違いない。
親戚の名前、葬儀社、お寺への連絡先を残しておく
わたしは遠い親戚の名前と電話番号、葬儀社(もちろん支払手続きは済ませるつもりだ)、そして墓があるお寺の名称と連絡先を発見者の方へもわかるようにしたいと思っている。
私の持っている国民健康保険被保険証の裏面には「臓器提供意思表示欄」があり臓器の提供の意思の有無を記入して保護シールを貼るようになっている。わたくしは、このシステムを活用できればよいなと考えている。
独居死の場合の連絡事項を記入する欄もつけ加えればよい。折からの国勢調査で、対象の人間は自治体も把握が可能だ。いかがであろうか。
最後の準備をしておくことで、安心して最期を迎えることが出来る
「そんなことまで、考えて暮らすのはいやだ」という考えを持つ方も当然いるだろう。
しかし、世界一の長寿国となったこの国においては、最後まで自分の意志を表示しておくことが逆に晩節を充実させることにつながるのではないか。
次世代の人達が快適に暮らしてゆけるようにするためにも延命治療の意志表示の記入を加えることも当然出てくるだろう。もうそういう時代なのかとおもうが、みなさんはどうだろうか。