皆さんは「法事」あるいは「お坊さん」というとどんなことを思い浮かべるだろうか?
筆者は、葬儀場以外で黒い服に身を包んだ人の団体を見かけたり、駅や電車内でお坊さんを見かけると「法事かな?」と思ったりすることもある。
そんな筆者にとっては「法事」というと「親戚が集まる場」というイメージが強い。実際に、筆者にも普段はあまり会う事はないが、法事のときには顔を合わせるという親戚が一定数いる。
今回この「法事」そして「お坊さん」について思いを巡らせてみたところ、筆者の頭に呼び起こされた記憶があった。それは筆者が幼い頃に出席した法事についてである。
「それ食べてもいい?」発言の後の静けさ…
小さな子供にとってお坊さんがお経を読んでくれている間、ずっと大人しくしていることは少々大変なことである。まして筆者は決して大人しい、落ち着きのある子供ではなく、そのことでしょっちゅう母を困らせていた。その落ち着きのない筆者は、お坊さんが法要を済ませてくれた後、お坊さんへお茶と一緒に出されたお茶菓子が気になって仕方がなかったようである。
その時お坊さんはお茶には口をつけていたものの、お茶菓子には口をつけていなかったのだ。そしてその口のつけられていないお茶菓子を見た筆者は、なんとお坊さんに「それ食べてもいい?」とおねだりをする。
法要の間、静かにしていることが出来たのかどうかといったことは正直なところ全く記憶がないのだが、自身がそのような発言をしたこと、その言葉を聞いた母が「何言ってるの!」と慌てて筆者を止めたこと、そしてその言葉を受けたお坊さんが嫌な顔もせずに温かく笑ってくれたことは何故だか覚えている。もっともこの話は当時の筆者の落ち着きの無さ故の話ではなく、食い意地故の話と言った方が適切かもしれないが。
今思うと「相当恥ずかしかっただろうな」と当時の母に同情してしまう。また、自分自身の食い意地の強さを自ら証明しているようで恥ずかしかったりもするが、それでも不思議とこの話は私にとって「嫌な思い出」ではない。それはあの時たくさんの親戚の前で叱りつけずに笑顔をみせてくれたお坊さんのおかげだろうと思う。
同じような体験をしたかたもきっといるはず?
その後大きくなってから、あるいは大人になってからも法事に出席する機会はあるが、当時の筆者のようにお坊さんに出されたお茶菓子をハンターのように狙う幼い子供には未だに会ったことがない。
そうしたことを思うと尚更、厳しい顔を見せることもなく優しく笑ってくれたあの時のお坊さんには感謝の気持ちしかない。これを読まれた方の中に、お坊さん相手にそのようなおねだりをしたことのある方がもしもいらっしゃったら…「私もおねだりしたよ」と筆者の気恥ずかしさを和らげては頂けないだろうか。