父が逝ったのは、暖かい春のことだった。
天気に恵まれ、桜がちょうど満開を迎えた四月四日のことである。
70代も半ばに差し掛かっていた父は、確かに大きな病をいくつも乗り越え、いつ亡くなってもおかしくはなかった。
けれど決して大声では言えない死を父は選んでしまった。
四月四日という日に魅せられたのか、咲き誇る桜に魅せられたのか、それは誰にもわからない。
父が死んだと突然の連絡
仕事の休憩時間にうたたねしていた私は、母から電話をもらって飛び起き、遠方在住の兄に連絡を入れつつ急ぎ帰宅したが、迎えたのはもはや息のない父の亡骸だった。
ただでさえ怖いうえに、晩年はアルコール中毒も患っていろいろと困らせてくれた父だった。それなのに遺体の顔は本当にただ眠っているかのように穏やかで、悲しいとか思うよりも先に、なんて身勝手なと怒りを感じたものだ。
私は翌日に友人と花見の約束をしていて、とても楽しみにしていた。それは父も知っていたのだ。なのに、それでも。母はどんな苦労をしても、生きていてくれればよいと言っていた。その思いさえ踏みにじって。
遺族の意向をきちんと汲み取ってくれた葬儀社
表沙汰にはしたくない理由ゆえ、近所の人や母方の親族には急な病でとだけ告げ、父の葬儀が行われたのは、斎場の都合で命日から一週間が過ぎてからのことだった。
駆けつけた兄も私も仕事を休み、来客の対応に追われていた。不思議なことに晴天が続き、桜は静かに盛りを越えようとしていた。
地元の葬儀社の方は大変親切に対応してくれ、いろいろと相談に乗ってくださった。葬儀の段取りについて、納棺式、自宅における祭壇の準備。春にしては暑い日々だったので、ドライアイスも毎日取り換えに来てくれた。廻り提灯はお盆に使うものだから今は買わなくてもよいとも教えてくれた。
派手なことは好まなかった父を思い、一般葬ではあったが、花祭壇にはしなかった。それにも嫌な顔をせずにいてくれた。その方がもうかりそうなものだが、遺族の意向をきちんと汲み取ってくれる良心的な葬儀社であったと思う。
人望のある父親だったのだと改めて思い知らされた
ところが直前になって言われた。生花の数が予想以上に多いと。
あちらこちらから花が寄せられ、祭壇は花があふれんばかりになっていたのだ。
家族には困ったところのある父だったが、親しい人には愛され慕われていたのだろう。花の数がそれを物語っていた。
愛することには無骨であったが、間違いなく愛されていたのだ。家族が思う以上に。
通夜にも告別式にも大勢の方に参列いただき、あらためて人望を思い知らされた。
許せるかと言ったら、答えに今も窮するだろう。
それでも、派手は苦手でもひそかに楽しいことが好きだった父に、花に埋もれた祭壇は似合いの葬儀ではなかったか。
斎場からのタクシーの中から見た青空の下の桜並木の美しさとともに、それは一生消えずに思い出に残るだろう。