先日近所の墓地を見てふと思った。そういえば墓の形について考えたことがなかった。和型ばかり見てきたせいで墓といえば和型であると思い込んでいたようだ。
そもそもお墓が近いかどうかが重要!
和型の墓は地震などで倒れる恐れがある。欧米にみられるような平面タイプの墓石はどうだろうか。
祖母たちの墓はいずれも和型である。そして滅多に様子をみに行けない場所に建っている。
私たちがしばらく見ない間にどうにかなっていてもすぐに自分たちで直しに行けないのが現状である。よそ様の墓石に倒れかかる恐れのない平面タイプの墓石に変えるのはどうだろうかと考えてしまう。勝手にお墓のデザインやタイプを変えたと怒る親類もほぼほぼいない。
気軽に訪れたくなるためにはデザインもポイント
テレビでしか見たことがないが、海外のお墓にはおよそお墓らしくないカラフルでポップな様相のものも存在するようだ。
ある国に、独自の葬送文化を持つ小さな村が現存する。その村に密着したドキュメンタリー番組を見たところ、その村のお墓は故人の生前の職業や生活スタイル、好みに基づいた色柄の模様やイラストで彩られているのだ。その村では、葬儀の際に読経はなく、代わりに故人の生前の行いや実績、人柄が参列者の前で読み上げられる。そしてその内容が描かれたお墓に埋葬されるのだ。
そこまで番組を観たところで、葬儀から埋葬までの一連の流れがとても明るく開放的で良いと感じた。そしてそれはお墓の見た目と墓地の立地のせいではないかと思った。どのお墓もオシャレというか、他人の目から見ても美しいお墓に仕上がっている。故人を偲ばせるだけでない、デザイン性の高いお墓なのだ。そしてそれが建つ墓地は日当たりとアクセスのよい開けた場所にある。このため村人がよく訪れるそうだ。まるでその村の人間は、死後も村の一員として村のなかに留まるかのようだ。葬儀を済ませたら埋葬、というよりも送別会が終わったら親類縁者に手伝ってもらい新居へ入居するような印象さえ受けた。この村では、村民は死後も生前と変わりなく村民として扱われるのかもしれない。
このドキュメンタリー番組を観て、率直に「これはいいな」と感じた。同じコミュニティに属する人物の死に対する、温かくポジティブな姿勢を見せられた気がした。
故人の性格を想起させるようなデザインだと更に良し!
一方我が家の場合はどうだろうか。
私の祖母たちの場合、先祖を敬う文言や故人を偲ぶデザインも何も施していない。それどころか最低限の管理すら多くをお寺に頼んでいる。しかしいずれは私が管理しやすい場所へ移すことになるだろう。どのようなかたちで移すことになるかはわからないが、もしできたら、将来祖母たちのお墓を移す際にはもっと明るい雰囲気のお墓に変えたい。
祖母たちの生前の話によれば、父方母方どちらの先祖も代々明るく賑やかなことを好んだようなので、平面で明るい色味のお墓にしてみようか。そこに祖母たちの好きな花や食べ物を供える。そうしたら、少しは先祖や祖母たちにちなんだお墓にならないだろうか。
「死」を日常的に捉えることも重要
ここまで、お墓の見た目や場所から考えられる故人と周囲との関係について述べてきたが、どのような形になってもお墓の手入れ、管理は嫌な顔をせずにしたいものだ。そのためにも、お墓を持つなら無理なくお墓参りができる場所に自分ひとりでも手に負える程度のお墓を持つ。どの視点から考えても最後はここに辿り着くのではないだろうか。
先述したドキュメンタリー番組の村人たちの、故人とのかかわり方に好印象をもつことができたのは、彼らが日々の生活の延長上にあるかのようにシンプルに葬儀を行い、日常生活の中でごく自然にお墓参りをし、無理することなく維持管理をしているからではないだろうか。
人の死とは本来日常的なもので、自分自身の生活から感覚的にも物理的にも切り離して考えるべきではないのかもしれない。