遺言にはどんな種類があるだろうか?と問われてあなたはどうお答えになるだろうか。自筆証書遺言、あるいは公正証書遺言などをすらすらとお答えになるかたは、いまではそう珍しいことではないかと思う。
良かれと思った、生前の遺言公開
わたしの聞いているのは、そういう法律的な意味ではなく、遺族にとってどのような役割を果たすかということ。
知人の話であるが、こういうことがあった。知人の父親は駐車場・アパート・マンションやらを手広くやっているいわば大家さんなのだが、その父親と知人とが、最近はほぼ絶縁状態だという。
聞くところによると、その父親が最近、税理士さんや弁護士さんに頼んで遺言を作った。そこで、推定相続人である3人の子供たちにこの遺言の内容を説明して、遺産を構成する各種の不動産の今後の運用上の注意やら、売却するにあたっての問題点を子供たちひとりひとりに説明したらしい。
しかし、結果的には揉めるきっかけに…
知人を含め3人の子供たちは、みな独立しており、父親の商売には一切かかわっていないため、自分の死後、財産の管理が心配でならなかったのだろうと推察される。
しかし、これが裏目にでたらしい。
父親は、それこそこれが唯一絶対の遺産の分け方と判断して、遺言を作成した訳だが、現金を3等分するわけではないから、不公平感がある子供から当然反発がでた。周りから見ればうらやましい限りではあるのだが、遺言の事前リークというより公表という知人の父親の行為が招いた悲劇である。
最後に…
わたしが思うにこの知人の父親は、最後まで自分の遺志ならぬ意志を貫くことしか考えていない人間なのだと思う。こういう人間にいわば遺言という武器を与えると、この武器を最大限に活用することしか頭にはないのだろう。こういう性格が、生前?の事業の成功につながっているわだから仕方がないともいえるのだが。
遺言の存在がのこされた遺族たちの争いに、いわば火に油を注ぐ結果になっては、やはり社会全体として不幸なことだと思うがいかがであろうか。
「なにきれいごとを言ってるんだ。おまえのところは、一人っ子だからそんなのんきなことを言えるのさ。」と知人からは逆にたしなめられたのも事実ではあるのだが。