春の陽気はどこへやら。眠たくなるような暖かさは、ジリジリと汗ばむ夏の暑さへとその性質を変えてしまった。こうも暑いと夏本番が心配になる中、6月、つまり梅雨の季節になると毎年心躍らせる私的年中行事が私にはある。それは雨粒が余計に淡さを際立たせる、紫陽花を見にお寺参りをすることである。
弔いの意味を込めて植えられた紫陽花
梅雨といえば紫陽花を連想される方も多いのではないだろうか。ご存知の通り、紫陽花の開花時期は6月から7月にかけてで、正に梅雨真っ盛り。どんよりと重たい空の下で水色、桃色、紫色など淡色の細かな花々が、雨に濡れて輝く様は実に美しいもの。そんな紫陽花を見ることのできるお寺を総じて「紫陽花寺」と呼ぶ。
「紫陽花とお寺」ーー今や何の違和感もない梅雨の風情ある組み合わせであるが、一体なぜ境内に紫陽花を植えるお寺が多いのだろうか。
その昔、もちろん医療技術が確立されていない時代の話。日本各地で流行病に苦しむ人が大勢いた。その原因は梅雨特有の急な気温変化によるものであり、病に臥す人だけではなく、大勢の死者も出る大変な事態だったという。そのような流行病に倒れた人へ弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたのだそう。そうして流行病が起こった村や町に紫陽花寺が多く誕生したのであった。やがて医学の発達により梅雨の流行病で亡くなる人が少なくなっても、栽培の容易さ、何より土や時期によって刻々と変化していくその淡色の美しさが人々の心を捕らえ、今では多くのお寺の境内に紫陽花が植えられるようになったとのことである。
仏様のお花、紫陽花。病気を呼びこむお花、紫陽花。
「紫陽花は仏様の花だから庭に植えてはいけない」「紫陽花は病気を呼び込むから縁起が悪い」などといった迷信を皆さんは耳にしたことがあるだろうか。
花には迷信の一つや二つ付きものではあるが、紫陽花にも幾つかの迷信がある。恐らく仏様の花というのは、上で述べたように、紫陽花の多くがお寺に植えられていることから来ていると思われる。
病気を呼び込むというのは、これもまた上で述べたように、体調を崩しやすい梅雨の季節に咲くことからだと推測できる。こういった迷信故に、お墓に供える花として敬遠したりと是非の判断がつきにくいが、紫陽花をお墓にお供えする人は多いのが実情であるという。
変化していく紫陽花の色が、老いとともに近づく死期を想起させる
紫陽花がお供えには相応しくない理由としては、色が変化していくからだという。時間とともにその色を淡く淡く変化させるその移ろいが、段々と死に近づく弱った姿を連想させるのだそうだ。しかし絶対にダメというわけでは勿論ない。上でも述べたように紫陽花をお供えする人は多いし、何より私自身も紫陽花の供えてあるお墓を何度も拝見したことがある。色鮮やかな、しかし、それでいて派手ではなく、涼しげな淡色の小花たちは、お墓を優しく賑わせるのに一役買っていたものであった。
どうしても部屋に籠もりがちになってしまう梅雨の季節。雨と蒸し暑さをほんの少し耐えて、紫陽花寺に出掛けてみてはいかがでしょうか。シトシト降り注ぐ雨のなか、淡色の花々は本当に美しいものである。最も雨の似合う花、紫陽花。死者も生者も、見惚れること間違い無し。