以前、私の母親が京都に旅行に行くというので、お土産に数珠をお願いしたことがあった。何かきっかけがあったわけではない。ただふと、大人といわれる年齢になったものの、所謂きちんとした数珠を持っていなかったからであり、段々と必要とする機会が増えてくるであろうことを見越しての思い付きでもあった。
108つの玉で構成されたお数珠
そもそも数珠は本来、念仏を読む回数を記憶するための仏具である。
数珠を構成する玉の数は108つ。この数字を聞いてピンと来る方も多い筈。この108の玉は人の煩悩を表しており、更にこの108つの玉それぞれは各煩悩を司る仏様其の物なのである。これらはいわば数珠の本義であると言える。
しかし、今手元にある私の数珠を見てみると玉の数は21しかない。何度、どこから数えても21しかないし、実際に葬儀で使用した際には数珠を使って念仏を数えるということはしていなかった。つまり数珠の在り方というのが多少なりとも時代の中で変わっていったということなのであろうか。
宗派によって形も持ち方も異なるお数珠
一口に数珠と言っても、それは各宗派ごとに形も違えば、持ち方・所作に至るまでそれぞれに特徴があり、更にその中から男性用・女性用と性別でも違いが出てくる。そこで一つの疑問が生まれる。それは自分の信仰宗派とは違う宗派の葬儀に参列する場合はどうすればいいか、である。
こういった場合は自分の宗派の数珠、つまり自分が元から持っている数珠で構わない。それに加え略式の数珠を持って参列する人も多く、つまりどの宗派にも併用することができる数珠で葬儀に参列するのである。なによりも大事なのは、故人を偲ぶ心であり、形ではないということを忘れないでおきたい。
パワーストーンにもなったお数珠
数珠には厄除けのお守りとしての側面も持ち合わせている。
それは上述したように玉一つ一つに仏様が宿っており、その仏様が私たちの煩悩を引き受けてくれる、という所に由来する。お守りとしての役割からか、近年はアクセサリーとしての需要が高まっており、パワーストーンなどを文字通り「数珠繋ぎ」に組み合わせた物が特に人気なのだという。
確かに、いくらご利益があるお守りだからといって、仏具としての数珠を肌身離さず持ち歩くのには少々難しい所があるし、気兼ねなく、自然に身につけることができる点で言えば、ファッションとしての数珠も大いにその役割を果たすのだと思う。
身近な仏具となったお数珠
私たちが数珠を持つ理由、それは信心深さ故でも厄除けのためでもなく、大勢の方は私と同じような理由からではないだろうか。それは一人の人間としてのマナーの自覚に他ならない。”大人であれば持っている物”という印象が私にはあるし、自ずと必要となってくる物でもあると思う。
人は歳を重ねれば重ねるほど、人の死に立ち会う場面が否応なしに増えていく。その時、故人にしっかりと祈りを捧げられるようにやはり「仏具」としての数珠は持っておくべきだと私は思う。勿論、様々な宗教的観点から、数珠を持てないケースもあるだろう。よって上記でも述べたように、”形ではなく心”が何より大事なのである。お葬式からファッションに至るまで、今や身近な仏具となった数珠。どちらの入り口からでも関心を寄せてみてはいかがだろうか。