先日、大阪府に住む世界最高齢の女性が亡くなったというニュースを目にした方も多いと思う。この女性は117歳と27日で、特別養護老人ホームのベッドにて、孫や職員に看取られながら老衰のため亡くなったそうだ。
「死去」と「逝去」の違いとは?!
この女性が亡くなるというニュースに対して報道各社は「死去」という言葉を使っていた。
ご存知の通り、人が亡くなった時に用いる言葉だが、ふと「逝去や往生、他界など、その他の死を意味する言葉は何故使わないのだろう」という疑問が湧いてきたのであった。
そこで今回はそんな「死」を意味する言葉のいくつかを例にとって解説していこうと思う。
まずは「逝去」という言葉。
冒頭のニュースでも用いられた「死去」と同様「去る」という言葉が使われている。共に「この世を去る」ことを表すのは言うまでもないが、この二つの言葉の違い、それは死を知らせる相手、立場の違いである。
「死去」は”家族・身内が亡くなり、それを相手方に伝える場合”。「逝去」は”目上・敬意を払うべき相手の方へのお悔やみを申し上げる場合”といった具合に使い分けるのが妥当である。
「死去」を辞書で調べてみると単に”死ぬこと・死亡”と記載されていることから、ニュースの様に第三者目線で伝える場合には適正な使われ方のようである。
「他界」と「往生」は?!
「死」という概念は、宗教とはやはり切っても切り離せないもので、古くから私たちに根付いた仏教に由来する言葉もいくつか存在する。その代表が「他界」と「往生」である。
「他界」とは読んで字のごとく、他の世界、つまり仏教に於ける死後の世界を意味している。この世からあの世へ渡ることで、その人の最期を表している。続いて「往生」。これは死後に極楽浄土に生まれ変わることを意味しており、そこから転じて人が亡くなる意味を持たせているのである。
この「往生」より派生して「大往生」という言葉を耳にした方も少なくないだろう。
この「大往生」は苦痛や乱れがなく、安らかな様、または立派な死という意味を持つ。「他界」という言葉をよく耳にするのは、身内・他人両方にも用いることができるからであるが、一方で「往生」を身内以外の他人が用いるのは大変失礼に値する。
遺族に「大往生でしたね」と、言うことは「長いこと生きたので十分でしたね」という風に捉えられてしまう危険があるからだ。身内の不幸を身内以外の誰かに伝える時に「大往生でした」と、初めて言えるのである。
「帰幽」と「鬼籍」は?!
神道にもその考えから至る言葉が存在する。その一つには「帰幽」というものがある。
「帰幽」とは亡くなった者の霊魂が幽世(かくりよ)に帰ることを表している。幽世とは神道でいうところの死後の世界を指している。
また「鬼籍」という聞き慣れない言葉も人が亡くなったことを意味している。「鬼」とは中国語で死者を意味し、「籍」とは戸籍のことである。「死者が入る籍」、これはあの閻魔大王の所持している閻魔帳に記載されることを表しているのだ。よって「鬼籍に入る」というような使われ方をするのである。
古来より私たち日本人は「死」というものを直接的に表すことを避けてきた。長い歴史の中で、時に仏教に、時に神道に、人々が信じ、すがるものに、誰しもが避けることのできない「死」を表してきたのである。その言葉の一つ一つに、残された私たちは、悲しみだけではない、安らぎを得ることができる。
悪気はなくとも、状況によって適切不適切に二分されてしまうこれらの言葉たち。しかし、決してネガティブな一面だけではない「死」を表す言葉たちを今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。