約20年前、知人の葬儀があった。それはそれは寂しいお葬式だった。ある主婦の葬儀だった。
社会に対しての開けたお付き合いは、子供が学校に通っていた頃にはあったが、その子供も独立して世間とのお付き合いは確実に減ったころに亡くなった。
家族とそれほど多くはない親戚、そして友人・・・参列者は数えて15人程にしかならなかった。
一般葬も家族葬も、一番大事なことは見送る人たちの気持ち
その頃の葬儀は、人が死んだら、縁故知人に知らせて葬儀が執り行われる・・・それは今と変わらないが、公に葬儀をする場合、比べる葬儀の形はなく一形式のものだったように思う。
「家族葬」という形の葬儀が普通に実践されるようになってきて、その恩恵を受けている家族はたくさんいると思う。
前述の主婦の葬儀の形式の中に「家族葬」という選択肢があったならば、そして、家族葬で行われていたならば、きっと、「寂しいお葬式」と、私も思わなかっただろう。むしろ親族に囲まれた、「いいお葬式」だったと思っただろう。
去年亡くなった義父の葬儀は、「家族葬」で執り行った。町会には知らせたが、あえて掲示板には書かないでいただいた。本当に近しい人たちだけで見送った。いいお葬式だったと今も思っている。
故人にとって大切だった人たちだけで執り行う家族葬
しかし、この「家族葬」、どこまで、またはどこからの近しい人たちに知らせるかの線引きが難しい。これは葬儀社の人にも言われた。
「家族葬」でした場合、お通夜、告別式で終わる葬儀が、例えば、義父の友人や、かつての会社の同僚、部下などが、亡くなったことを葬儀が終わった後で聞いて、「お焼香だけでもさせていただきたい」・・・などといってくることだ。
もちろん、「家族葬でしたので、お気持ちだけ受け取ります。」でも構わないが、お焼香をしたい・・・と言ってくださる方を無下には拒みたくはない。そうすると、自宅まできていただくことになる。引き出物も余分に残しておき、自宅の掃除もきれいにしておかねばならない(当たり前!)。大体四十九日までは、なんとなく落ち着かない日を過ごすことになる。実際、うちでもそうだった。
だからといって、一般の葬儀にすれば良かったとは思わない。葬儀後に故人を偲んできてくださる方がいたことは、煩わしく感じるよりも、「・・・さんが来てくれたよ。良かったね。」と、遺影に向かって心の底から言えた私たち家族がいるからだ。これが葬儀として、本来あるべき姿ではないだろうか。