初めてお葬式に参列したのは、まだ子どもの頃だったと思います。
その葬儀からの帰りに、私はそのまま家に入ろうとしました。すると母は、「待って、もらった塩があるでしょう。それで体を清めてから家に入りなさい」と、私に清め塩について教えました。
それからは、お葬式からの帰宅時には必ず清め塩を忘れずにしてきました。
お清めの塩の由来は?
お葬式という非日常の儀式の帰りに、これまた日常的にはしない清め塩・・・。今まで何の不思議もなくしてきた習慣です。しかし一方で、この清め塩をしない人もいるという話を聞きました。なぜでしょうか?
清め塩は、実は仏教ではなく日本の神道由来の習慣だそうです。
神道では、死を「けがれ」た事としてとらえています。「けがれ」とは、気枯れともいうそうです。物事が悪い状態にあり、生命力が枯れてしまうことを表す概念です。神道の考えでは、若々しく生命力に満ちていることが重要なので、その正反対の状態である死は忌み嫌われています。神道では、この様にけがれている物に対して、塩を撒くことでお祓いしてきました。
一方、仏教では死を「けがれ」た事としてとらえていません。仏教では、輪廻転生の考えに基づき、死は次の生のための始まりと考えられています。よって、仏教での死は忌み嫌われる事ではないため、塩で清める習慣はありません。仏教の宗派によって多少違うようですが、清め塩はむしろ不必要な行為であるとの見解が出されているようです。
また、宗教だけではなく、土地による風習として清め塩が残っているところもあるようです。
仏式葬儀でもお清め塩を使用するのは諸説あるようです
今日の日本での葬儀のほとんどが仏式で行われているといわれています。そんな中で、なぜ神道の考えに基づく清め塩の習慣が現代まで残っているのでしょうか。
これに対する答えは諸説あり、明確な答えは見つかりませんでした。
しかし、昔から仏教と神道が混在してきている日本では、よくある風習の名残りだととらえるのがいいのかもしれません。
強い宗教観がある人や風習が根強く残る地域の人や以外は、清めの塩を配られた際に、「神道では清める必要」「仏教では清めは不必要」…などの考えにこだわらず、自分の考えで判断してよいことなのでしょう。
今回、葬儀に関わるちょっとした習慣、清め塩に注目してみました。するとそこには、日本人の死生観や宗教観が垣間見られた気がします。