老人の孤独死というのが問題になっています。しかし、孤独死というのは、老人に限った話ではありません。
インターネットでしか、人間関係を築いていけない若者や引きこもりの若者の場合も、孤独死の危険性は大いにあります。隣近所との付き合いもなく、親や身内とも離れて一人暮らしをしている若者にもあり得ない話ではありません。
ブログや掲示板にいつものように書き込みがあった人が、ある日突然、何も書き込みが途絶える。ネット上での人たちは、忙しくて書き込みがないとか、日記のネタがないだけで、更新がないだけと思います。しかし、病死だったり、たまたま外出しての事故に合い、突然死することだってあります。
そんなとき誰にも知られずに死んでしまう事があります。しばらくたって、その人が死んだことを知っても、ネット上では、本名は誰も知らないのです。ログネームや愛称でしか知らないのです。もちろん、本人の住所も知らないので、葬儀はもちろん、線香一本上げにも行かれません。それは、余りにも悲しい現実と言わざるを得ません。
身内には知らせが行くとしても、知り合いは誰一人参列しないと言うことがあります。ネット上でブログなどがしばらく更新してない人たちの中には、生死がわからない人もいます。もちろん、日記等でたまにでも更新しているならいいが、何か月も更新されていないと、心配になります。
せめて、生死くらいはハッキリしてくれる方がいいと思います。そんなときに、遺書ではないが、万が一の時に備えて、パソコン上に、知り合いリストを作っておく人が増えています。
他人事ではない孤独死
決して、それは、他人事ではないと思います。ある日、突然、不幸なことが身に降りかかることだってあります。その時、誰に自分の死を知らせるか、考えておくことは大事です。 ときどき、有名人が亡くなるという誤報がニュースになることもあります。入院して、ブログが更新できないので、死亡説が出るなど、それは、一般人でも同じことです。
まして、本当に亡くなったとしたら、どうでしょうか。誰にも知られず死んでいくのは、老人でも若者でも気持ちは同じです。誰にも看取られずに、また、自分が死んだことに、気付いてもらえないというのは、余りにもさびしすぎると思います。結婚式と同じくらい、葬儀には葬列者にたくさん来てほしい、たくさんの人に送ってもらいたいと、思うのが正直な気持ちだと思います。
生前の人柄が忍ばれる瞬間です。それが、誰にも気づいてもらえず、たった一人で死んでいくというのは、余りにも悲しすぎると思います。しかし、そんな現実も実際にあります。
あなたなら誰にしらせたいですか?
最近は、家族葬のようにひっそりと、極少人数で済ませるというのが流行っているようです。
なのに、肝心の家族や身内ですら、参列しないということも珍しくありません。なぜなら、家族すら、死んだことを知らないからです。自分が死んだことを誰かに知ってもらいたいと思うのは、最後の願いだと思います。誰に知らせるか、誰に知ってもらいたいか、考えておくことは今、生きているうちに考えておかなくてはいけないと思います。ネット依存している人たちは、孤独死するかもしれないことを他人事とは思わず、準備だけはしておく方がいいかもしれません。