介護問題は何年も前から騒がれていますが、介護=いわゆる「3K(きつい、きたない、危険)」が若者達の認識だと思います。
何を隠そう、私も実際に経験するまではそう思っていました。
介護という単語を聞くだけで、「自分には無理」とやる前から考えてしまう人も多いと思います。
そんな私ですが、ヘルパーの資格を取得する際、実際に介護を体験してみる機会がありました。
その経験を通して強く感じたのは、「介護って、思ったより敷居が低いんじゃないか?」ということ。
従来の価値観が大きく変わりました。ヘルパー体験は当初私が想像したものとは真逆で、とても楽しかったのです。
とりあえずまずはやってみる
あくまで資格取得の為の体験ですから、やったことといえば簡単な作業ばかり。
見学とお話し相手が主でしたし、大目に見て貰った点も多いと思います。
ですが、そんな何も出来ない私でもその場にいることに意味があったのです。
要介護者は身の回りの世話より、話し相手や人の温もりをより多く求めているように見えます。
要介護度が上がるほどその傾向は顕著です。
特に若者はご老人から見れば孫の世代であり、可愛く思えるようです。
初めて会う人や普段関わる機会が少ない人がいることは脳の刺激にもなります。
もちろん要介護者といっても性格は様々、一括りにできるものではありません。
時には文句を言われることもあるでしょう。
それでも何も変わったことが起きないよりずっと脳の刺激になっているそうです。
そこで提案したいのが、介護をもっと気楽なものとして受け入れ、ボランティアとして「とりあえずやってみる」スタンス。
内容を問わず、ボランティアは多くの人にとって未だ敷居が高いものだと思います。
特に若者は、進学の推薦など明確な理由がある時以外は縁が薄いのではないでしょうか。
手を抜けという意味ではありませんが、そもそもたかだか数日の体験でできることなど限られているのです。
最初はできなくて当たり前
失敗していいし、難しいことはできなくて当たり前。
最初は無理なくできることだけで良いのです。見学のみでも、お話し相手のみでも。
今ここで体験していることを自分が楽しむ。
楽しめれば自然と学びは得られますし、自分が楽しめば周囲にも伝播するものです。
介護やボランティアに抱く「難しそう」「大変そう」「責任が重そう」といったイメージ。
まずこういった敷居を限りなく低くするのが、これからますます高齢者と介護の問題が増える社会で必要なことではないでしょうか。
介護施設や地域行政、学校側が協力する仕組みも必要だと思います。
資格取得支援や内申点も良いですが、もっと広範囲にわかりやすく受け入れられやすいメリットを提示し、間口を広くする。
最初は即物的な動機で構わないと思います。例えば短い拘束時間で交通費とちょっと高級なお弁当を出すとか。
すぐには実らなくても将来介護に携わってみようと思うきっかけになるかもしれません。
介護する人もされる人もどちらにも大切な経験
たとえ1度でも実際に経験した人としていない人では大きな差が生まれます。
いざ(ボランティアではなく)本当に介護する側になった時、もしくはされる側になった時、その経験が自分を勇気付けてくれるのではないでしょうか。
理想を言えば、渋谷を歩いている若者が「今週はちょっと介護ボランティアに行こうぜ」なんて友達を誘うくらい、気楽で親しみやすいものであってほしいです。
何事もイメージ先行でやる前から敷居を高めてしまう昨今、これからますますニーズが高まる「介護」の敷居を低くすることから始められないでしょうか。