妊娠したとき、あまりの喜びにそのままエコー写真をSNSにアップしたというのが賛否両論を呼んでいた。確かにお腹に命が宿ることはとても喜ばしいことであるべきだ。しかし、そんな中、自分自身でその妊娠をやめてしまうことがある。一方で自然と赤ちゃんが成長できず、流れてしまうこともある。産まれていなくとも、お腹に宿った大切な命だ。その供養とはどんなものだろうか。
そもそも水子とはなんなのか?
中絶というと自分で望んで手術を受け、妊娠という状態をやめてしまうことのようだが、これは人口中絶といい、自然と流産、死産してしまうことを自然中絶という。中絶とは妊娠状態が途中で断絶してしまうことなのだ。産まれてはこれなかったとしても、お腹の中に宿った命には変わりない。その供養は水子供養と呼ばれる。
水子とは、お腹の中で亡くなった子供のことである。姿・形が残らず、すべて水の様に流れてしまうことからそう呼ばれるのだが、これは仏教用語である。仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」では、賽の河原で鬼に責められる子供を地蔵菩薩が守る姿が歌われており、お地蔵さまは子供の守り神として広く知られるようになった。賽の河原とは、親より先に死んだ子供が行く、三途の川の河原であり、子供はここで小石を積み上げ、塔を作り続けるのである。しかしこの塔はいつまでも完成することはなく、鬼に「歪んだ塔などでは見苦しく、とても供養になどならない」と崩され続ける。「賽の河原で小石を積む」とは無駄なことの例えでもある。
さて、子供はなぜ小石を積み上げなければならないのか。これは父母を悲しませた罪を背負っているからである。仏教の世界では仏像を作ったり、仏塔を建立したりすることは大きな功徳があると考えられてきた。ここで親代わりに鬼から助けてくれるのがお地蔵さまなのだ。
水子供養とは?
供養と葬式は全く違う。葬式は亡くなった方を天国へ導かせるための儀式であり、供養は天に召された方へ思いを伝えるための手段だ。
大人が亡くなった場合、この世への未練や穢れから、魂がすんなり天国になじめない。そのためにこの世で葬式を行い、煩悩を取り除き、無事に天国へたどり着けるようにみんなでお祈りをしなくてはならない。
しかし、まだ生まれていない赤ちゃんの心には煩悩がない。だから葬式を挙げる必要はないのである。
供養の流れや金額
お寺であるが、通常の地域にある檀家寺では檀家以外の法要を受け付けていないことが多い。自分の先祖のお墓がある菩提寺が本来ふさわしいが、水子供養は秘密にしておきたいこともあり水子供養専用のお寺に頼むケースが多い。
まず、合同法要、個別法要とあり、個別のほうが割高であるが、小さな子供がいる場合は周りの方のことを考えて、こちらを選ぶ方がいいだろう。それから読経のみの読経供養、戒名を授与してもらえる戒名供養、戒名をいただき、さらに位牌もいただける永代供養と三種類ある。戒名は霊が迷うことなく仏さまに導いてもらうための名前で、位牌は魂の拠り所だ。費用に関しては1万~20万円程度と幅がある。
水子供養をすることはとても重要な個人情報である。周りに水子供養をすることを知られたくない場合も多いだろう。それだけに詐欺も多いので、頼むときは念入りに下調べをしてからのほうが良い。
体の調子が悪くても早く供養をしたい場合はホームページ水子供養というものがある。メールや電話で受け付け、読経してもらう時間を決める。その時間、自分も自宅でゆっくりと亡くなった赤ちゃんのことを考える。家にいながらできる供養である。人に会いたくない場合は開門時間以外の朝や夜に特別に開門してくれるお寺もあるので調べるといいだろう。服装も喪服でなくてよい。派手な服装だけ控えればOKだ。供養の時、赤ちゃんへの手紙を書いたり、エコー写真をお寺に納めたりもできる。
供養をすることが大切
慌てる必要はなく、供養まで時間が掛かってしまっても構わない。忘れないであげることが一番大事なことだ。
賽の河原で子供の積む塔は父母を悲しませた罪、と書いた。つまり父母がその死を受け止め、悲しみを乗り越えた時、子供は天国へたどり着けるのだ。
故人が亡くなって、百日目に行われる百箇日法要の別名は卒哭忌。つまり、泣くことを卒業する日である。生きている者はきちんと前を向いて、自分の人生に向き合わなくてはならない。供養はそのためのものでもあるのだ。